飾らない魅力を持ち味に、映画「男はつらいよ」ほか、山田洋次監督作品の常連女優として、数多くの映画に出演されてきた、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さんですが、若い頃は「恋多き女優」として知られていました。今回は、そんな倍賞さんの過去の交際相手と最初の結婚相手についてご紹介します。
「倍賞千恵子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
過去の交際相手は?泥沼不倫も!
まず、最初の交際相手は、映画「下町の太陽」での共演で知り合われた、早川保さん。
しかし、早川さんが、別の女性に子どもを産ませた事実が発覚し、破局。
その後、倍賞さんは、10歳上の妻子あるテレビプロデューサーと不倫の関係になったそうですが、お相手の奥さんが離婚を断固拒否したため、8年の泥沼不倫の末、こちらも破局しています。
「下町の太陽」より。倍賞さんと早川保さん。
俳優・小宮健吾と婚約!馴れ初めは?
そんな中、倍賞さんは、舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」での共演で、7歳年下の新進俳優だった小宮健吾(当時・小宮守)さんと知り合うと、話をしているうちに、なんとなく波長が合い、交際に発展したそうで、
1976年1月27日には、単独記者会見を開き、小宮さんとの婚約を発表されます。
(その後、まったく音沙汰がなくなってしまい、マスコミの間では、お二人は破局したのでは、との噂がささやかれますが、マスコミに騒がれて関係が壊れてしまうのを恐れた倍賞さんが慎重に交際を続けていたようで、交際は順調だったそうです)
小宮健吾と質素な結婚式
そして、1976年3月8日、軽井沢の聖パウロ教会で結婚式が執り行われたのですが、参列者は、お二人それぞれの両親、倍賞さんの付き人とマネージャーなど、ごく身近な人、8名のみで、他の親族やマスコミには一切知らせず、
式自体も、神父の前で、お二人がプラチナの指輪を交換するだけで、1時間足らずで終了するという、とても質素なものだったそうです。
小宮健吾とは格差婚だった
というのも、倍賞さんの年収が何千万円もあるのに対し、小宮さんの年収は約80万円と、今で言う格差婚だったからなのですが、
そんなアンバランスな二人がうまくやっていけるのかと、交際当初から、周囲は心配するも、
小宮さんは、
初めは彼女に頼るけど、まあ、借りるようなもので、男なら、やがては自分の力で養う覚悟はできている
と、語っておられたそうです。
小宮健吾との離婚理由
しかし、結婚から4年後の1980年1月20日、スポーツ紙により、
小宮が荷物をまとめて家を出た
と、報じられます。
すると、倍賞さんは、翌日、映画の記者会見で、
記事はまったくの誤解
と、全面否定されるのですが・・・同年10月末には、離婚。
二人そろって離婚会見を開かれると、二人とも、報道陣に笑顔を振りまきながら、快活に話をされたそうですが、結局、離婚の原因は明かされなかったそうです。
ちなみに、離婚の原因は、やはり、収入も役者としても格上の倍賞さんと小宮さんの間で、格差を埋めることができなかったのでは、と言われています。
(1980年1月20日にスポーツ紙に報道が出た際、本当は、すぐにでも離婚するはずだったそうですが、倍賞さんが会見したことで、離婚が保留となったそうで、意地っ張りだった倍賞さんは、自分の言ったことを守ろうと夫婦関係の修復に努められたそうですが、結局は修復できなかったと言われています)
離婚会見をする小宮健吾さんと倍賞さん。