1971年に、プロレスラー・アントニオ猪木さんの猛プッシュで結婚されるも、猪木さんが作った莫大な借金で苦労し、1988年には離婚された、倍賞美津子(ばいしょう みつこ)さんですが、お二人の間に生まれた娘さんの結婚相手は、猪木さんとプロレス界で仕事をされているといいます。
「倍賞美津子とアントニオ猪木の離婚原因は萩原健一との不倫だった?」からの続き
娘は猪木寛子
倍賞さんとアントニオ猪木さんの間には、寛子(ひろこ)さんという娘さんが一人おり、幼い頃には、ミュージカル「アニー」で主人公のアニー役を演じられたことがあるそうですが、
その後、女優の道には進まなかったようで、倍賞さん・猪木さん夫婦が離婚した後は、お母さんである倍賞さんに引き取られたそうです。
その後、成長した寛子さんは、思春期の時に両親が離婚したせいか、お母さんへの反発もあり、ボストン大学へ留学。
帰国後も、お互い意地の張り合いで、なかなか素直に仲良くできないでいたそうです。
少女時代の寛子さん(右端)
娘との絆
それでも、1997年4月、倍賞さんに、「直腸ガン」が見つかり、ちょうど、寛子さんの大学の卒業式の日、倍賞さんは入院中で卒業式に出席できなかったのですが、
寛子さんは、倍賞さんの好きな曲であり、また、卒業式で流れた、エドワード・エルガーの「威風堂々」という曲を、病室でかけて聴かせてくれたそうで、
倍賞さんは、
さすが私の子
と、娘との強い絆を感じられたそうです。
そして、2002年には、倍賞さんが猪木さんと共に立ち上げた、「新日本プロレス」創立30周年記念興行に、倍賞さんがサプライズゲストとして登場しているのですが、この企画を立てたのは、寛子さんと寛子さんのご主人だったそうです。
「新日本プロレス」創立30周年記念興行より。倍賞さんとアントニオ猪木さん。
娘の夫はサイモン・ケリー猪木
ちなみに、その寛子さんのご主人は、サイモン・ケリー猪木さんで、猪木さんが会長を務める、プロレスと総合格闘技の団体「IGF」の取締役をされており、現在は、カリフォルニアで暮らされているそうですが、
寛子さんとサイモンさんは、幼稚園の頃から同じインターナショナルスクールに通っており、両家がずっと家族ぐるみの付き合いをされていたことから親しくなり、結婚に至ったのだそうです。
(サイモンさんのお父さんは、1年ほど、猪木さんの輸入会社「アントントレーディング」に勤務されていたことがあったそうですが、経営が無茶苦茶過ぎてついていけなくなり、辞められたそうです(笑))
サイモン・ケリー猪木が猪木と仕事をすることに猛反対
そして、後にサイモンさんは、猪木さんと一緒にプロレス界で仕事をすることになるのですが、
寛子と結婚したあとに自分が「猪木さんと一緒にプロレスの仕事をやる」と言ったとき、父には大反対されました(苦笑)。
しかも美津子さんからも反対されました。「絶対にそれだけはやめて!」と。父も美津子さんも口を利いてくれなかったです。
ぼくの父も猪木さんのことは大好きなんですけどね、仕事になると別ってことですよね。でも、ぼくもなんとかプロレスの仕事を続けていくと、父も美津子さんも「本当に好きでやってるんだな、それならしょうがない」ということで許してくれたんだろうと思います。
美津子さんは本気で怒ってましたからね。離婚の原因はハッキリとは知らないですけど、本音はお互いに愛が残っているなと感じることはありましたから。
と、お父さんは、猪木さんの会社に務めていたことから、倍賞さんは、猪木さんの借金でさんざん苦労したことから、猛烈に反対されたことを明かされているのですが、
倍賞さんは、「新日本プロレス30周年記念大会」(2002年)の準備をする頃から、
昔はお金なくて苦しかった
アンタたちもお金がなくて大変だろうけど頑張りなさい
と、認めてくれるようになり、「新日本プロレス」を立ち上げた当時の話など、いろいろと話して聞かせてくれるようになったとのことでした。