すでにスターだったにもかかわらず、「8時だョ!全員集合」に出演し、「合わせ鏡」「ヒゲダンス」など、志村けんさんとのコントに真摯に取り組まれた、沢田研二(さわだ けんじ)さんですが、その背景には、志村さんとの固い友情があったようです。
「沢田研二は志村けんのダメな付き人役でコントデビューしていた!」からの続き
志村けんとの友情
志村さんに全幅の信頼を寄せ、志村さんの作るコントでお笑いの才能を開花させていった沢田さんは、「8時だョ!全員集合」だけではなく、「ドリフ大爆笑」でも志村さんと息のあったコントを見せ、
「ドリフ大爆笑」を担当していた放送作家の海老原靖芳氏も、
本番前になるとスタジオの隅っこに行って、打ち合わせするんです。そのときの沢田さんの雰囲気は、やっぱりとても楽しそうでしたよ
と、語っているのですが、
沢田さんは、志村さん以外の「ドリフ」のメンバーとは、積極的にコントをしなかったそうで、
別の番組スタッフに、
「全員集合」と同じようなコントをウチでもやりたい
と、打診された時も、
僕がやっていたのは、志村けんに作ってもらった、志村けんとやるためのコントです。志村けんとしかやりません
と、あくまでも志村さんへの義理を貫かれており、志村さんとのコントをとても大事にされていたそうです。
そんな沢田さんの気持ちがよほどうれしかったのか、志村さんは、1983年、沢田さんがMCを務める番組「沢田研二ショー」に単独でゲスト出演されているのですが、
実は、「ザ・ドリフターズ」のリーダーで、チームワークを最も大事にする、いかりや長介さんと事務所の猛反対を押し切っての出演だったそうです。
(志村さんが1974年に「ザ・ドリフターズ」のメンバーになって以来、初の単独行動だったそうです)
「変なおじさんTV」「ふたりのビッグショー」でも志村けんと共演
その後、1985年に、「8時だョ!全員集合」が終了し、1990年代に入ると、一旦、お二人の共演は途絶えるのですが、
2001年4月、志村さんの番組「変なおじさんTV」が開始すると、沢田さんは再びゲスト出演し、息の合ったコントを披露。
そして、以降、数々の番組で共演されるのですが、実は、そのどれもが、沢田さんから志村さんにラブコールを送って実現したものばかりだったそうで、
沢田さんは、同年10月、司会者不在、出演者2人だけで進行する、NHKの「ふたりのビッグショー」にキャスティングされた際も、自身のパートナーに志村さんを選ばれたそうで、
NHKの関係者は、
収録はもちろん、打ち上げも大盛り上がり。後々、ジュリーが「打ち上げであんなに飲んだことは初めて」と周囲に話し、志村さんもこの年の重大ニュースにこの番組収録を挙げるほど思い出深いものだったんです。
と、明かされています。
ラジオ番組「沢田研二・志村けんのジュリけん」ではシモネタも
また、2001年10月には、ラジオ番組「沢田研二・志村けんのジュリけん」がスタートすると、もともとトークに定評のあった沢田さんですが、
志村さんの話術に乗せられ、普段は決して話さないようなシモネタも口にされていたそうで、沢田さんは、ここでも、志村さんに大きな信頼を寄せていたそうです。
(沢田さんのシモネタが聞けたのは、この番組だけだったとか)
そして、2003年3月、番組の最終回では、
いつもはシャイな沢田さんが、
コントでも、自分の知らない部分を見つけ出してもらったしね
と、自身の新たな魅力を引き出してくれた志村さんに、素直に感謝の気持ちを表されたのだそうです。
舞台「さあ、殺せ!」ではバカ殿様に扮していた
そして、さらに、2003年には、舞台「さあ、殺せ!」で、沢田さんと志村さんは共演されており、沢田さんがバカ殿様、志村さんが沢田さんのヒット曲「TOKIO」の衣装を着てスターに扮しているのですが、
某舞台関係者によると、
初日、2日目と見ましたが、アドリブの応酬がすさまじく、同じ台本とは思えませんでした。
と、お互いの持つ信頼感から、ここでも息のピッタリあったコントを披露されていたようで、
志村さんが2006年からスタートされている、舞台「志村魂」も、この「さあ、殺せ!」がきっかけだったそうです。
そんな経緯もあり、2020年、「キネマの神様」の志村さんの代役として選ばれた沢田さんですが、撮影半ばにして他界された志村さんも、きっと天国で喜んでいることでしょう。
さて、いかがでしたでしょうか。
沢田さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?芸名の由来は?
- 野球少年だったが芸能界に憧れていた
- たむろしていたダンス喫茶「田園」で歌手になろうと決心
- 岸部一徳からスカウトされ「ファニーズ」に加入
- ジャズ喫茶「ナンバ一番」と専属契約
- 「全関西エレキバンドコンテスト」で優勝
- 岸部シローがアドバイザー的役割を果たしていた
- 大阪・西成区で合宿生活
- 「ザ・スパイダース」の田辺昭知に誘われるも、その後は進展せず
- 内田裕也との出会い
- 内田裕也の紹介による「渡辺プロダクション」のオーディションに合格
- 「ビートルズ」の初来日公演に衝撃を受ける
- 新幹線を誤って「ひかり」ではなく「こだま」に乗る
- 「ファニーズ」から「ザ・タイガース」に改名
- 「シーサイド・バウンド」が大ヒット
- もう一人の「ザ・タイガース」
- 次第にメンバーが不満を募らせていく
- 沢田研二と加橋かつみが不仲に
- 加橋かつみが失踪
- 加橋の失踪は「渡辺プロダクション」が仕組んだ脱退劇だった
- 瞳みのるも脱退を申し出る
- 沢田研二のみ押し出されていた
- 「ザ・タイガース」が解散
- 岸部一徳に誘われ萩原健一らと「PYG」に加入
- 「PYG」として活動開始するも観客から罵声を浴びる
- 「PYG」と並行してソロ活動
- 「許されない愛」「危険なふたり」が大ヒット
- ディスコグラフィー
- 海外進出も
- 「勝手にしやがれ」「TOKIO」での派手なパフォーマンスで人気に
- 「ザ・ピーナッツ」の双子の姉・伊藤エミと結婚
- 「ザ・ピーナッツ」は解散、伊藤エミは芸能界引退
- 田中裕子と不倫関係になり伊藤エミと離婚
- 離婚理由は?
- 不倫騒動により人気低迷
- 田中裕子と再婚
- 結婚30年でもおしどり夫婦
- 元妻・伊藤エミとの息子と25年ぶりに再会
- 元妻・伊藤エミの豪邸が更地に
- 息子は元妻・伊藤エミの死後、双子の妹(叔母)ユミと暮らしていた
- 元妻・伊藤エミの双子の妹・ユミも死去
- さいたまスーパーアリーナ公演をドタキャン
- ネット上ではプロ意識を疑う声が続出も・・・
- 2度のドタキャンもファンからは擁護の声
- ドタキャンの理由は?
- 妻・田中裕子に激怒されていた
- 「キネマの神様」で志村けんの代役に決定
- 志村けんの代役オファーは山田洋次監督から直々に受けていた
- 志村けんとの出会い
- 周囲の反対を押し切り「8時だョ!全員集合」でコントしていた
- ダメな付き人役でコントデビュー
- 「合わせ鏡」や「ヒゲダンス」も
- 志村けんを信頼して真摯にコントに取り組んでいた
- 志村けんとの友情
- 「変なおじさんTV」「ふたりのビッグショー」でも志村けんと共演
- ラジオ番組「沢田研二・志村けんのジュリけん」ではシモネタも
- 舞台「さあ、殺せ!」ではバカ殿様に扮していた
について、まとめてみました。
近年は、激太りした姿とコンサートドタキャン騒動で何かと話題を集めている沢田さんですが、志村さんとの友情を貫く義理堅い性格に、根強いファンがいるのも納得ですね。
「沢田研二の若い頃は岸部一徳にスカウトされファニーズで活動していた!」