1979年、「カネボウレディ’80」のキャンペーンガールに選出されて以来、数多くのテレビドラマに出演するなど、順調にキャリアを積んでいたにもかかわらず、1988年、俳優の石田純一さんと結婚すると、家庭中心の生活にシフトされた、松原千明(まつばら ちあき)さんですが、同年、石田さんがブレイクすると、幸せな結婚生活が一変します。
石田純一の浮気に気づいていた
結婚当初は、交際中と同様、家で寄り添って過ごすなど、恋人同士のようなラブラブな関係だったお二人ですが、まもなく、石田さんが売れっ子の俳優になり、テレビドラマに引っ張りだことなると、ロケなどに出かける日が多くなります。
それでも、松原さんは、売れっ子の役者ならそれも当然のことと、石田さんが外泊する日があっても、さほど気にしていなかったそうですが、
やがて、石田さんは、ゴルフコンペやテレビ局のお偉いさんと打ち合わせなどと言って、だんだん家に帰ってくる日が少なくなっていくと、
ある日のこと、石田さんが経営する会社の経理を担当していた松原さんは、クレジットカードの明細を見て、ホテルの宿泊代や飛行機のチケット代が2人分(しかもスイートやファーストクラス)あることに気付きます。
そして、石田さんのスキャンダルが週刊誌で取り沙汰されるようになると、石田さんの明らかにおかしいと思える言動が増え、芸能界の友達からも、「彼、最近、かなり遊んでるみたいだよ、気をつけたほうがいいよ」と忠告されたそうですが、
それでも、なお、松原さんは、石田さんの気持ちを聞いたり、関係を立て直したり、愛情を取り戻そうと努力をすることはしなかったのだそうです。(松原さんの関心は、ただひたすら、娘のすみれさんだけに向いていたのだそうです。)
父親の浮気が当たり前の家庭環境で育っていたことで重要視していなかった
というのも、松原さんは、
私の父は時代劇俳優でした。常に二号さんがいましたし、祇園でお金をパーッと使ってしまうような人でしたので、母は苦労していました。
「あなたが生まれる前の話だけどね、お父さんが祇園の女の人のところに行っちゃって、「お金がなくなったから持ってこい」って言うの。だから持って行ったわ」なんて言っていました。
でも、そういった父の豪快さも含めて受け止めていたのでしょう。役者としての「芸能肥やし」というものでしょうか。母は父に最期まで添い遂げ、看取りましたし、私は役者というのはそういうものだと幼い頃から思っていました。
と、幼少期の特殊な環境から、石田さんが浮気をしていることを当然のことと考え、それほど重要視していなかったのだそうです。
長谷川理恵の父親から電話かかってきて石田純一と共に謝罪に行ったことも
とはいえ、石田さんが不倫をしていることを、友だちからはっきり聞いた時には、
ああ、噂は本当だったんだ・・・
と、さすがの松原さんも心が痛かったそうです。
しかも、石田さんの不倫相手(長谷川理恵さん)のお父さんから、
お宅のご主人とうちの娘を別れさせてくれ
と、電話がかかってきて、
なんと、石田さんと一緒に、長谷川さんのお父さんに謝りに行かれたこともあったのだそうです。
「松原千明は娘すみれの為に石田純一との仮面夫婦を演じていた!」に続く