まだ駆け出しだった頃、作家の三島由紀夫さんに才能を認められ、以降、三島さんと深い絆で結ばれた、美輪明宏(みわ あきひろ)さんですが、噂の通り、美輪さんと三島さんは恋愛関係にあったのでしょうか。

「美輪明宏と三島由紀夫の出会いは?三島が美輪にカルチャーショック?」からの続き

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三島由紀夫の愛人だった?

美輪さんは、1968年、三島さんが脚本を書いた舞台「黒蜥蜴」で主演を務められると、大ヒットを記録しているのですが、

(同年、映画版「黒蜥蜴」では、俳優として出演した三島さんとキスシーンも演じられています)


1968年、舞台「黒蜥蜴」の打ち上げパーティーにて。美輪さん(左)と三島由紀夫さん(右)。

その後は、「三島さんの行くところ美輪さんあり」という状態で、美輪さんが三島さんの愛人であることは、公然の秘密となります。

(三島さんは1958年に結婚されています)

真相は?

ただ、美輪さんによると、二人が恋愛関係になることはなかったそうで、

あるとき、三島さんから、

君はね、95%の長所があって、それは素晴らしいものを持ってる。だけど、あとの5%の短所がその95%の長所を吹っ飛ばすだけの最悪の短所、欠点だ。

と、言われ、

へえ、素晴らしいじゃないの。そんな、95%の長所を吹っ飛ばす欠点なんてさ。名誉なことだわ。で、どういうことです?

と、聞き返すと、

俺に惚れないことだ

と、言われたそうで、

美輪さんが、

私は尊敬する人には恋愛感情を抱きません。尊敬できる人はあくまでも尊敬している人。恋愛感情になってしまうと何かグレードが落ちるような気がするからです。

そして、年齢や容姿・容貌、そんなのはいっさい関係ない。何か気の毒でかわいそうな陰がある人を好きになるのです。

と、返したところ、

三島さんは、

君は誤解してるぞ。君と別れたあと、ある雨の日、帰っていく俺の後ろ姿を見てみろ。震いつきたいぐらいかわいそうだぞ。

と、言われたとのことなので、もしかしたら、三島さんは、美輪さんに恋愛感情を持っていたのかもしれません。

(お二人は、はっきりと直接的な表現はせず、全てこのような間接的な表現で会話をされていたのだそうです)

三島由紀夫が割腹自決

そんな関係を続けていたお二人でしたが、1970年11月、三島さんが、抱えきれないほどのバラの花を持ち、

出演おめでとう!

と、言って、美輪さんがコンサートを開催する日劇の楽屋を訪ねてこられると、

普段は家族の話などあまりしない三島さんが、その日は弟さんの話をされるなど、いつもと様子がちょっと違っており、楽屋から帰られる際には、突然、振り返り、

もうこれっきり、君の楽屋には来ないからね

と、言われたそうで、

美輪さんが、

どうして?

と、尋ねると、

三島さんは、

今日も奇麗だったよ!なんて嘘をつくのがつらいから、もう来ないよ

と、皮肉交じりの冗談を言いながら、笑って楽屋を出て行かれ、その後、一番前の客席で眼鏡をかけて美輪さんのステージをずっと観ていたそうですが、

美輪さんが、三島さんの大好きだった「愛の讃歌」を歌っている時のこと、美輪さんは、三島さんが、美輪さんとの出会いから最近までのいろいろな出来事を走馬灯のように思い出している波動が送られてきたというのです。

そして、それから1週間後の1970年11月25日、三島さんは市ヶ谷の駐屯地内で割腹自決。45歳という若さでこの世を去られたことを美輪さんは知ったのでした。


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ちなみに、美輪さんは、

三島さんは劣等感の塊でした。でもそれを補って余りある才能がある人、天才でした。誰にでも悩みやら欠点があるのですから、劣等感などは本来持つ必要はないのです。

ただ、三島さんは純粋で、とてもチャーミングな方でした。私の前ではまったくの無防備で、それだけ安心されていたのだと思います。無二の親友ですね。

と、亡き三島さんを偲ばれていました。

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実際の恋人は俳優の赤木圭一郎

ところで、美輪さんが実際に交際されていたのは、俳優の赤木圭一郎さんという方だそうです。


赤木圭一郎さん。

赤木さんは、当時、日活映画で、石原裕次郎さん、小林旭さんに次ぎ、「第三の男」と呼ばれるほど、期待されていた若手俳優だったのですが、

1961年、映画の撮影現場で休憩時、ゴーカートを日活撮影所内で運転中、運転操作を間違えて大道具倉庫の鉄扉に激突し、他界されたそうで(21歳という若さだったそうです)、

美輪さんが、赤木さんの死後、代表曲である「愛の讃歌」がまともに歌えないほど、深い悲しみに打ちひしがれているとき、叱咤激励してくれたのが、三島さんだったのだそうです。

(美輪さんは、関係が公になることを恐れ、赤木さんの葬儀に参列することもできずにいたのですが、それから7年ほど経った1968年頃、赤木さんを「トニー」と呼び、愛し愛されていたことを雑誌で告白されたのでした。)

「美輪明宏の霊感は本物?天草四郎の生まれ変わりは嘘?」に続く

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