小学4年生の時には、右目を失明するほか、信頼していた親友に裏切られるなど、辛い出来事が重なり、ふさぎ込むも、やがて、人を笑わせることに興味を持ち始め、小学校の卒業式では、漫才を披露するまでに回復したタモリさんは、中学に入ると、マニアックな笑いや趣味に目覚めていきます。
「タモリのサングラスの理由は小学生の時の右目の失明だった!」からの続き
中学時代は牧師の身振り手振りのしゃべりを観察するため教会通い
タモリさんは、中学2年生の時、R.H.カルペッパー牧師の身振り手振りのしゃべりが面白かったことから、観察するため、1年半~2年近く、毎週のように、近所の「平尾バプテスト教会」に通ったそうで、
嵐の日にも教会に通ったため、カルペッパー牧師には、なんと信心深い信者かと勘違いされ、感激されたそうです。
(後に、この時の教会通いは、年末年始特別番組「笑っていいとも!特大号」のオープニング時の「タモリ牧師の説教」に活かされることとなります)
中学の授業中に聞いてないふりしてちゃんと答える遊び
そんなタモリさんは、中学校の授業では、わざと聞いていないふりをして外を眺め、先生に「こいつ聞いてないな」と思わせ、
指名されると、ちゃんと答える、という遊びもしていたそうで、この頃から、かなりマニアックな笑いに目覚めていたようです。
中学時代は弁論大会で優勝
一方、中学2年生の時には、弁論大会に立候補し、
絶対に優勝する
と、意気込み、「放射能がどれだけ怖いか」をテーマにスピーチするも、残念ながら、入賞すら叶わず、
教師からは、
大局のことを言っている人がいましたがもっと身近なことを
と、(タモリさんの名前は出さなかったものの)半分名指しで批判されてしまうも、
翌年、再び立候補すると、今度は、「もっと挨拶をしよう」をテーマにスピーチし、見事、優勝。
タモリさんは、後に、「ラジオ深夜便」で、
コツが分かったんです。この学校の先生の考え方が
と、弁論大会で優勝するコツは、スピーチの良し悪しではなく、いかに先生に気に入られるかが大事だということに気づいたことを明かされているのですが、中学生にして鋭い洞察力を発揮していたのでした。
高校時代はアマチュア無線に興味を持つ
そんなタモリさんは、成績も優秀で、中学卒業後は、県内有数の進学校である福岡県立筑紫丘高校に入学し、「剣道部」と「吹奏楽部」に入部したそうですが(吹奏楽部では「トランペット」兼「司会」を担当)、
この頃、タモリさんが一番興味があったのは、「アマチュア無線」だったそうで、船が好きだったこともあり、船の無線通信士に憧れたそうです。
(電気通信大学を目指そうとしたそうですが、数学や物理が苦手だったため、最終的には断念したそうです。)
ジャズとの出会い
また、高校3年生の時には、近所に住む後輩の家で、ジャズドラマー、アート・ブレイキーのレコード「モーニン」を聴き、衝撃を受けたといいます。
というのも、タモリさんは、幼い頃から、音楽好きの家庭で育っており、(お姉さんがクラシックピアノをやっていたこともあり)クラシックを一通り聴いていたほか、チベット音楽などの民族音楽にも親しんでいる中、どんな音楽を聴いても、自分にはピッタリくるものはないながら、それなりにはいい音楽だと理解できていたそうですが、
このジャズは、初めて聴いた時、何がいいのかさっぱり分からなかったそうで、そんなことは今までなかったことから、そんなはずはないと、レコードを一枚借りて、家でじっくり繰り返し聴くと、
ぴったり来る音楽はこれしかないな
と、逆に虜(とりこ)になってしまったそうで、
その後、早稲田大学にジャズのクラブあることを知ったタモリさんは、早稲田大学に進学し、「モダンジャズ研究会」に入ろうと思ったのだそうです。
(早稲田大学を目指したのは、国立大学へは行けそうもないが、地元の私立大学では面白くなく、早く家を出て一人暮らしをしたかったから、という理由もあったそうです)
「タモリ牧師の説教」より。
https://www.youtube.com/watch?v=tL4DTFwToKs