「ロジェ滋野とシャドーズ」として横浜のジャズ喫茶で演奏していたところ、いかりや長介さんにスカウトされ、いかりやさんがリーダーを務めるバンド「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入した、高木ブー(たかぎ ぶー)さんですが、ちょうど、この頃、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は、主要メンバーが4人も辞めて、大変な時期だったといいます。

「高木ブーはいかりや長介にスカウトされ「ザ・ドリフターズ」に入っていた!」からの続き

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「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は主要メンバー4名が脱退していた

当時、いかりや長介さんは、バンド「碇矢長一とザ・ドリフターズ」のリーダーとして活動していたのですが、主要メンバーの、小野ヤスシさん、ジャイアント吉田さん、飯塚文雄さん、猪熊虎五郎さんの4名が、いかりやさんの厳しさやバンドの方向性などに反発して脱退したそうで、

そんな中、いかりやさんは、残ったメンバーの加藤茶さんと新たなメンバー探しに奔走していたそうで、そのスカウト第一号が高木さんだったそうです。

音楽を辞めてサラリーマンをしていた仲本工事を誘っていた

そして、いかりやさんから、(「碇矢長一とザ・ドリフターズ」にもともといたギタリストが辞めて困っていたことから)「誰かいいギタリストいないかな」と聞かれた高木さんは、

既にその時、音楽を辞めてサラリーマンをしていた仲本工事さんを誘ったそうで、仲本さんも、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入したのだそうです。

(仲本さんは、高木さんと、「ロジェ滋野とシャドーズ」で一緒に演奏していた時期がありました)

いかりや長介が高木ブーを誘ったのは「見た目」だった

ちなみに、後年、高木さんは、いかりやさんに、なぜ自分を誘ったのか(ギターの腕前を買ってくれたものと期待を込めつつ)聞いたそうですが、

見た目だよ

と、一言で答えられたそうです(笑)

(いかりやさんは、やがて、テレビの時代が到来するだろうと予測して、音楽性よりも、ビジュアルのインパクトを重視していたのでした)

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「ザ・ドリフターズ」として数多くのジャズ喫茶で演奏していた

さておき、その後、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は、幾度かのメンバー変遷を経て、1965年には、高木さん、いかりやさん、仲本工事さん、荒井注さん、加藤茶さんの5人で、「ザ・ドリフターズ」(「碇矢長一とザ・ドリフターズ」から改称)として活動をスタートすると、

この頃は、ロカビリーやカントリーなどのオールディーズが流行していたことから、「ザ・ドリフターズ」もその流行に乗り、ロカビリーを演奏したそうで、高木さんはここでもギターを担当し、池袋、銀座、横浜など、数多くのジャズ喫茶で演奏したのだそうです。

(昼は午後1時~6時、夜は6時~10時までで、各時間帯に2バンドが30分ごとのステージで出演していたそうです)

「高木ブーは昔ビートルズ初来日公演の前座をドリフターズで務めていた!」に続く


「ザ・ドリフターズ」。(左から)加藤茶さん、荒井注さん、仲本工事さん、高木さん、いかりや長介さん。

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