80代半ばに差し掛かる現在も、脚本家として第一線で活躍されている、倉本聰(くらもと そう)さんですが、「世界のキタノ」と称されるビートたけし(映画監督としての名義は北野武)さんを「認めない」「嫌い」と発言していたことが、週刊誌「日刊ゲンダイ」により報じられます。お二人の間にいったい何があったのでしょうか。

「倉本聰は「やすらぎの刻~道」の脚本5,500枚を撮影前に完成させていた!」からの続き

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ビートたけしを「認めない」「嫌い」とバッサリ否定

2018年、倉本さんがビートたけしさんを「認めない」と発言していたことが話題となっているのですが、実は、倉本さんは、2018年6月6日付けの「日刊ゲンダイ」の連載「ドラマへの遺言」で、

僕はたけしというのは全く認めないんですよね

以前1本だけ15分くらいのミニドラマをやってるんですけど、それだけですね。僕はあの人を全然認めない。
(中略)
役者としても人間としてもですね

なんであの人があんなに買われるようになったのか。それはもちろん監督として外国でヘンに認められるようになっちゃったからなんだけど、そんなにすごい人物なのかと思う。

まあ、個人の趣味だから大きな声では言えない話なんですけどね。僕はハッキリ言って嫌いです

と、ビートたけしさんをバッサリ斬り捨てているのです。

ビートたけしが脚本を無視してアドリブで演じたのが原因か

というのも、倉本さんとたけしさんが初めて会ったのは、1987年、「立体ドラマ5時間 1987年の大晦日」という番組で、倉本さんは、「昭和大つごもり―第九―」というミニドラマを書き下ろし、その主演がたけしさんだったのですが、

共演者は、田中邦衛さん、演出家は杉田正道さんと、チーム「北の国から」の面々に囲まれ、たけしさんは完全に部外者の状態。

そんな中、たけしさんは、持ち前の瞬発力とアドリブ力で演じられたそうで、セリフ(台本)を重んじる倉本さんには、自分の書いたセリフを勝手な解釈で変えられたことが許せなかったのかもしれません。

「フライデー事件」を起こしたたけしの復帰に利用されたと感じていた

また、たけしさんは、前年の1986年に「フライデー事件」を起こしたことから、8本あったレギュラー番組すべて降板されているのですが、

倉本さんには、なんとか、たけしさんをテレビに復帰させたいテレビ局の思惑も見えたそうで、

いいように使われてしまった

と、感じたというのです。

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「歸國」でビートたけしとの間の亀裂が決定的に

そんなお二人ですが、2010年には、終戦記念特番「歸國(きこく)」で再びタッグ。

たけしさんは、制作発表会見で、

倉本先生、鴨下(信一)先生の2大巨頭の下、プレッシャーはありますが、怒られない出来の芝居をしようと思う

と、神妙に語っておられたのですが・・・

なんと、たけしさんは、主演なら必ず参加するという、台本読みに参加しなかったそうで、これには倉本さんも呆然。このことで、お二人の間の亀裂は決定的なものとなったのでした。

ちなみに、「日刊ゲンダイ」の記者がたけしさんの所属事務所に、たけしさんが倉本さんの怒りをどのように受け止めているのか取材したところ、

所属事務所は、

その日、台本読みに行けなかったのは、局側からの連絡がなかったのか、たまたまその日だけ仕事が入ってしまったのか・・・。直接、倉本さんから言われた訳ではありませんので、こちらからは何も申しあげられません

と、当惑しきりだったとのことで、いずれにせよ、お二人の相性が最悪なのは間違いありませんね。

「倉本聰の母方の家系は身分の高い医者だった!」


「歸國」の制作発表会見より。倉本さん(前列左から2人目)とたけしさん(前列右から2人目)

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