「前略おふくろ様」「北の国から」「風のガーデン」「やすらぎの郷」など、次々と大ヒットドラマを生み出し、テレビドラマ界に金字塔を打ち立てた、倉本聰(くらもと そう)さん。今回は、そんな倉本聰さんのご家族や病気の噂についてご紹介します。
「倉本聰の姪っ子の娘(姉の孫)は警察に相談した当日に殺害されていた!」からの続き
妻は女優の平木久子
倉本聰さんは、1961年、演劇集団「円」所属の女優・平木久子(ひらき ひさこ)さんと結婚されています。
お二人は、ほぼ同時期に、劇団「仲間」に入られたことがきっかけで知り合われ、交際に発展したそうで、
(平木さんは、「俳優座」の養成所を卒業後、劇団「仲間」に入られたそうです)
倉本聰さんは、日経新聞の「私の履歴書」で、
疾風怒濤(しっぷうどとう)の時代だ。60年安保の反対派が連日、会社のある日比谷の交差点を行進した。デモ隊が国会突入した6月15日、ニッポン放送の中継車がデモ隊にひっくり返された。逆さまになった車から同僚が決死の放送を続けていた。
「新劇のデモ隊に右翼が突っ込み、女優が死んだらしい」との情報が流れて、どきっとした。「劇団仲間」の活動も続けていて、劇団の女優、平木久子と付き合っていた。デモに行くと聞いていた。亡くなったのは東大生の樺美智子さんだった。このニュースも衝撃だった。
と、明かされています。
結婚式での倉本聰さんと平木さん。
現在の平木さん。結婚後もずっと舞台女優を続けられています。
娘はイラストレーターの倉本由美
そんなお二人の間には、娘さんが一人おられるのですが、倉本由美さんといい、イラストレーターをされており、富良野のワイナリー「ふらのワイン」のラベルの挿絵を手がけられています。
由美さんがデザインした挿絵のラベルのワイン。
由美さんがデザインした挿絵の原画。
ちなみに、由美さんは、もともとは、倉本聰さんの知り合いの娘さんで、養女だと言われています。
頚椎の病気で手術
ところで、倉本聰さんを「病気」で多くの人が検索されているようですが、実は、倉本聰さんは、2018年5月31日、東京都内で開催された「第55回ギャラクシー賞授賞式」に参加された際、車椅子に乗って登壇されており、
「第55回ギャラクシー賞授賞式」より。(左から)風吹ジュンさん、倉本聰さん、清野菜名さん。
司会のフリーアナウンサー・久米宏さんが、「やすらぎの刻~道」の1年分ものシナリオの半分をすでに書き終えていることを確かめた際、
いつ倒れるからわからないから。実は、体を壊してしまって、来週、手術をしなければいけなくなった。そういうことがいつ起こるかわからないから
と、病気であることを明かされているのです。
ただ、授賞式後、週刊誌の記者が、倉本聰さんの所属事務所とテレビ朝日の双方の関係者に、倉本聰さんの病状について確認したところ、倉本聰さんが翌週行う手術は、頚椎の(軽い)手術で、転倒などの予防のため、車椅子を使われたということで、
病名は明かされていないものの、
命にかかわるものではないので、心配ありません
とのこと。
その後、特に情報はなく、倉本聰さんは、2021年にはHBC北海道放送創立70周年記念「倉本聰×是枝裕和 特別対談 “あのとき”から~北の大地とドラマと…」などでも元気な姿を見せられているので、手術は無事成功したようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
倉本聰さんの、
- 倉本聰の母方の家系は身分の高い医者だった!
- 年齢は?出身は?学歴は?
- ヘビースモーカー(18歳から喫煙)
- 本名は?ペンネームの由来は?
- 母方の家系は身分の高い医者だった
- 祖父・貞吉は「浅井病院」を設立するも兄の死で京都に移住
- 倉本聰は父親も東大卒!日清製粉を経て出版社を経営していた!
- 父方の祖父・山谷徳次郎も医師
- 父方の祖父・山谷徳次郎は医療ジャーナリストとしても活動
- 父親・山谷太郎はキリスト教徒
- 父親・山谷太郎の最初の妻が急死
- 父親・山谷太郎は特高警察に逮捕され取り調べを受けていた
- 倉本聰の幼少期は裕福な家庭で俳人の父親の元のびのびと育っていた!
- 幼少期は裕福な家庭でのびのびと育つ
- 幼少期から父親に宮沢賢治の童話を音読させられていた
- 幼い頃から父親に俳句を作らされていた
- 幼少期から父親に連れられて野鳥の観察をしていた
- 倉本聰は少年時代に東京大空襲から生き残っていた!
- 山形県に学童集団疎開
- 仮病が成功し縁故疎開で単身帰京が叶う
- 東京大空襲から生き残る
- 倉本聰は中学生の頃から創作活動を始めていた!
- 疎開先では楽しい自給自足の生活
- 「北の国から」の草太兄ちゃんのモデルとの出会い
- 10歳の時に校庭で玉音放送を聞く
- 終戦後は再び東京に戻る
- 中学時代に演劇の楽しさを知る
- 倉本聰は東京大学を2浪の末に合格していた!
- 高校2年生の時に父親が他界
- 高校時代は映画や芝居に夢中になる
- 2浪の末に東京大学に合格
- 倉本聰は昔「劇団四季」を不合格になり「劇団仲間」に入部していた!
- 「俳優座」のスタジオ劇団「仲間」の文芸部に入部
- 浅利慶太の「劇団四季」を受験して不合格になっていた
- 大学2年の時にラジオドラマ「鹿火」で脚本家デビュー
- フジテレビに就職を希望するもニッポン放送に採用が決定
- 中島貞夫(後の映画監督)の協力で東京大学を無事に卒業
- 倉本聰は昔ラジオ局時代に誤って未放送分の録音テープを消去していた!
- ニッポン放送(ラジオ局)で働きつつ家でテレビの脚本も書いていた
- 未放送分の録音テープを誤って消去してしまう
- クビを覚悟して途方に暮れるも・・・
- 渥美清の協力と台詞の繋ぎ合わせで凌いでいた
- 倉本聰はニッポン放送時代に内緒で書いた「現代っ子」が大ヒットしていた!
- テレビドラマ「パパ起きてちょうだい」で脚本家デビューしていた
- テレビドラマ「現代っ子」の大ヒットがきっかけでニッポン放送を退職
- ニッポン放送退社後はフリーの脚本家として活動
- 倉本聰は「勝海舟」で病気の渡哲也を休ませ松方弘樹を口説き落としていた!
- NHK大河ドラマ「勝海舟」の主演・渡哲也の病気を心配して降板させていた
- 渡哲也の代役として松方弘樹を口説き落とす
- 渡哲也から松方弘樹への主役交代は無理があった
- 倉本聰は「勝海舟」でNHKの労働組合に圧力をかけられていた!
- ディレクターの勅使河原平八と対立
- NHKでは労働組合が強力過ぎて制作にも支障が出ていた
- 労働組合(民青)に圧力をかけられる
- 倉本聰は「勝海舟」でNHKへの告発文を週刊誌にでっちあげられていた!
- 週刊誌「ヤングレディ」の取材を受ける
- 「NHKへの告発文」として捏造された記事を書き直させるも・・・
- 新聞広告に「倉本聰氏、「勝海舟」を内部から爆弾発言」と掲載される
- 倉本聰はNHKから吊し上げられ「勝海舟」を降板させられていた!
- NHKスタッフから徹底的に吊し上げられる
- NHKスタッフからの憎悪むき出しの攻撃にショックを受け北海道に飛ぶ
- NHK大河ドラマ「勝海舟」を降板させられる
- 倉本聰は「勝海舟」降板後はトラックの運転手になろうとしていた!
- トラックの運転手に転職しようと考えていた
- フジテレビの社長らから脚本のオファーを受ける
- 松方弘樹は一連のNHKの対応を批判し35年間干されていた
- 復帰後は「前略おふくろ様」「大都会 闘いの日々」ほか次々と脚本を執筆
- 倉本聰は好んで札幌から過疎の富良野に移住していた!
- 便利な札幌からわざわざ富良野に移住
- 冬にはウツで死にたくなっていた
- 現在は富良野での生活がお気に入り
- 倉本聰の「北の国から」は自身の体験が反映されたものだった!
- テレビドラマ「北の国から」が高視聴率を記録
- テレビドラマ「北の国から」の魅力
- テレビドラマ「北の国から」のセットが公開
- 富良野塾
- 倉本聰 界隈
- 倉本聰のデビューからの脚本ドラマ映画を画像で!
- 脚本作品(映画)
- 脚本作品(テレビドラマ)
- 受賞・受章歴
- 倉本聰が二宮和也を絶賛し寺尾聰を使わなくなった理由とは?
- 「一言一句変えてはならない」が不文律?
- 二宮和也を絶賛する理由とは
- 寺尾聰を使わなくなった理由とは
- 倉本聰は「やすらぎの刻~道」の脚本5,500枚を撮影前に完成させていた!
- シニア向けに特化したドラマ「やすらぎの郷」を執筆
- 「やすらぎの郷」の続編「やすらぎの刻~道」が放送
- 「やすらぎの刻~道」の脚本は撮影前に全て書き上げていた
- 倉本聰がビートたけしを「認めない」「嫌い」と発言!その理由とは?
- ビートたけしを「認めない」「嫌い」とバッサリ否定
- ビートたけしが脚本を無視してアドリブで演じたのが原因か
- 「フライデー事件」を起こしたたけしの復帰に利用されたと感じていた
- 「歸國」でビートたけしとの間の亀裂が決定的に
- 倉本聰の姪っ子の娘(姉の孫)は「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者だった!
- 被害者はフェイスブックで池永容疑者と出会っていた
- 恵まれた環境で育った被害者と恵まれない環境で育った加害者
- きっかけは池永容疑者の独りよがりの行動
- 被害者は恐喝されたうえ強姦されていた
- 倉本聰の姪っ子の娘(姉の孫)は警察に相談した当日に殺害されていた!
- 池永容疑者はフラれた怒りから殺害を決意していた
- 警察にストーカー被害を相談した当日に事件発生
- 池永容疑者は被害者の部屋に忍び込みクローゼットの中に身を潜めていた
- 殺害の動機は?
- この事件がきっかけで「リベンジポルノ被害防止法」が成立
- 倉本聰のコメント
- 倉本聰の妻は女優の平木久子!娘はイラストレーター!
- 妻は女優の平木久子
- 娘はイラストレーターの倉本由美
- 頚椎の病気で手術
について、まとめてみました。
恵まれた家庭に育つと、戦争になって東京大空襲の真っ只中に東京に在住するも大きな難を逃れ、(歪曲されたとはいえ)自身の軽はずみな発言がきっかけで干されるもすぐさま周りに助けてもらうほか、常に幸運の星の下、自身のしたいことを貫き続けてきた倉本聰さんですが、自身ではちょっと感覚が違うようで、
僕は今も含めて、ずっと幸せだという気がしますね。幸せというのは、満ち足りているというのが僕の定義なんだけど、戦時中、空襲に追いかけられていても、なんか幸せでした。家族にくるまれていたから、守られているという安心感があったんですね
と、ちょっとズレたコメントをされていた倉本聰さん。
そんな鈍感力(良い意味での図太さ)がなにより倉本聰さんの強みなのかもしれませんね。
(代表作の「北の国から」でも、登場人物が、身勝手(自業自得)な行動をしても、ことごとく、人間だから仕方がないと周りに許してもらう展開が繰り返され、それを雄大な北海道の自然の景色や音楽で感動的に演出されています)
「北の国から」「風のガーデン」「優しい時間」など、数々のヒットドラマを世に送り出してきた、脚本家の倉本聰(くらもと そう)さんですが、今回は、そんな倉本さんのルーツである、母方のおじいさんについてご紹介します。 Spon …