小学5年生の時、再会した兄・武生さんに救けられ、極貧生活から抜け出した、梅沢富美男(うめざわ とみお)さんは、当初は、野球に夢中になる、ごく一般的な野球少年だったそうですが、やがて、再び役者への道を歩み始めます。
「梅沢富美男は小3の時に極貧になりアルバイトをしていた!」からの続き
中学生の頃はプロ野球選手に憧れる野球少年
おばあちゃんの家で極貧生活を余儀なくされるも、お兄さんの武生さんに救い出され、前橋に移り住んだ梅沢さんは、やがて、野球に夢中になり、野球三昧の楽しい日々を送ったそうで、
(当時のスター選手だった、長嶋茂雄さんや王貞治さんに憧れる、どこにでもいる野球少年だったそうです)
中学生になり、野球部に入ると、ポジションはショートで打順は2番を打ったそうですが、前橋出身のプロ野球選手に褒められるほどの腕前になったそうで、いつしか、プロ野球選手を夢見るようになったそうです。
再び役者になることを決意
そんな梅沢さんは、貧乏生活を経験したこともあり、
役者なんかやっているからこんなに苦労するんだ
と、両親を恨み、役者を軽蔑するようになっていったそうで、役者への未練はまったくなく、
(義務教育の小・中学校時代は、ずっと舞台から離れていたそうです)
むしろ、中学卒業後は、役者になるのを嫌い、就職を希望されていたのですが・・・
(頭が良かった梅沢さんは、県内でも最難関の高校に進学するも、実家の経済状況が相変わらず厳しかったため、早い時期に中退されているという説もあり)
1965年、15歳のある日のこと、お兄さんの武生さんから、
東京に来たらハンバーグを御馳走してやる
と、言われ、ハンバーグにつられて上京すると、このハンバーグを契約金に、ほどなくして、舞台に出演することに(笑)
すると、ひょんなことで、観客に大いにウケ(正しくは、笑われたのだそうですが、当時はウケたと勘違いされたのだそうです)、この時、梅沢さんは、魂が震えるほどの感動を味わったそうで、
梅沢さんは、
役者ほど素晴らしい商売はない
役者になりたい、役者になるんだ
と、役者になる決意をされたのでした。
漫画家・石ノ森章太郎との出会い
こうして、あらためて、役者として歩み出した梅沢さんは、その後、様々な役柄をこなしながら、演技の修業を積まれたそうですが、
それから10年の歳月が経った1976年、25歳の時、漫画家の石ノ森章太郎さんが、度々、梅沢さんの舞台を観に来てくれるようになったそうで、
これからの役者はゴルフぐらいできないとダメだ
と言って、梅沢さんにゴルフを教えてくれるほか、銀座でお酒の飲み方も教えてくれるようになったのだそうです。
(※石ノ森章太郎さんは、「仮面ライダー」「サイボーグ009」「人造人間キカイダー」「さるとびエッちゃん」などの原作者で、「漫画の王様」「漫画の帝王」と称されました)