極貧生活を経験したトラウマから役者を軽蔑するようになり、小・中学生時代は野球選手に憧れるも、15歳の時、兄・武生さんのハンバーグにつられて舞台に出演したことがきっかけで、再び、役者となる決意を固めた、梅沢富美男(うめざわ とみお)さんですが、そんな中、今度は、漫画家の石ノ森章太郎さんからの思いがけない依頼をきっかけに、大きく人生が変わります。
漫画家・石ノ森章太郎から「矢切の渡し」を踊って欲しいと頼まれる
25歳の時、漫画家の石ノ森章太郎さんが、度々、梅沢さんの舞台を観に来てくれるようになり、銀座でのお酒の飲み方やゴルフなどを教わるようになっていた梅沢さんですが、
ある日のこと、石ノ森さんから、
おまえ、ちょっと踊ってくれないか。今度見に行くから
と、ちあきなおみさんのレコードを渡されたのだそうです。
(渡されたのは、ちあきなおみさんが1976年にリリースしたシングル「酒場川」というレコードで、そのB面の曲「矢切の渡し」を踊ってほしいと言われたそうですが、その後、この「矢切の渡し」、1983年に細川たかしさんがカバーして大ヒットを記録しました。)
ちあきなおみさんの「矢切の渡し」
女形を独学で研究
そこで、梅沢さんは、踊りのアドバイスをもらおうと、レコードを持って、お兄さんの武生さんを訪ねると、
レコードを聴いたお兄さんは、
無理だよ、これ、相舞踊(男と女が歌詞に合わせて踊りを掛け合う)だから
と、一旦は難色を示すも、
俺、女形できねぇから、おまえやれ
と、梅沢さんに女形をするように言ったそうで、
女形の経験がなかった梅沢さんが、
どうやったら女形やれんですか?
と、問うと、
お兄さんは、
おまえは女好きなんだから、女見りゃあいいだろ
と答えたそうです。
そこで、梅沢さんは、
あ、ラッキー
じゃあ、楽じゃない
と、思ったそうで、
独学で、女形のお化粧をしてみたところ、
俺、こんなに奇麗になるんだって、自分でもビックリしちゃって(笑)
と、自分の女形の姿に惚れ惚れ♪
女形に扮する梅沢さん。
ちなみに、化粧で女形に変身した梅沢さんは、次は、仕草を勉強しようと、銭湯の前で張り込みしたことがあったそうですが、さすがにその時は、警察から職務質問を受けたそうです(笑)
女形でブレイク
それでも、当初は、
10年間もバリバリやってきたのに、なんでいまさら女形なんか
と、嫌々ながらの女形転向だったそうですが、
その華やかなルックスと可憐な仕草で、
下町の玉三郎
と、呼ばれるほどの人気となると、梅沢さんの名前は、たちまち全国的に広まったそうで、当時のおひねりの最高額は、なんと、1ステージ300万円!
その時は、おひねりを見ないで踊ることにとても苦労したとのことでした(笑)
細川たかしさんの「矢切の渡し」で踊る梅沢さん。
https://www.youtube.com/watch?v=NxxDXfbXOEQ