音楽で生きていきたい一心で鹿児島を出ようと考えていた頃、折よく野球部が甲子園出場を果たし、応援にかこつけて、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」を訪れると、初めて聴く生演奏に感動し、より音楽で生きていく決意を固めた、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さん。この後、いよいよ、家出を敢行するのですが・・・

「西郷輝彦は高1の時に音楽で生きる決意をしていた!」からの続き

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母親に家出を告げるも取り合ってもらえず

野球部の応援から鹿児島に戻ってきた西郷さんは、中学の時の友人が神戸に住んでいたことから、その友人に連絡をして、「行きたい」旨を告げると、友人は「いいよ、来いよ」と言ってくれたそうで、

(西郷さんは、その瞬間、自分の未来がパッと明るくなったように感じたそうです)

その日から、何度もお母さんに、

家を出るよ

夏休みが終わるまでには絶対家を出るから

と、言っていたそうですが、

(自分に言い聞かせるためでもあったそうです)

お母さんは、そのたびに、

何をバカなこと言ってんの。目を覚ましなさい

と、取り合ってくれなかったそうです。

そして、いよいよ家を出る日、西郷さんは、坊主頭に、白い半袖の開襟シャツ、スニーカー、ボストンバッグ、という格好で、

じゃ、母さん、行ってくるからね

と、言ったそうですが、

やはり、お母さんは、

はいはい、もうどこにでも行きなさい・・・晩ごはんまでに帰ってくるんだよ

と、全然本気にせず、まるで家の近くに遊びに行ってすぐに帰ってくると思っているような対応だったのだそうです。

鹿児島から神戸へ出発

ちなみに、西郷さんは、これまでの貯金と友人達がカンパしてくれた分を合わせた6千円ほどを持って、西鹿児島駅から急行「高千穂」で神戸へ旅立ったそうですが、

(友人たちは、みな「頑張ってな、俺たちの分もやってくれよ」と言って送り出してくれたそうですが、この6千円は、ほとんど汽車賃に消えてしまったそうです)

実は、西郷さんは、家を出る直前に失恋しており、相手の女の子の写真を桜島(鹿児島の活火山)が見える海岸で燃やし、「よおおし、オレがみんなを見返してやる」と心に誓っていたそうで、この失恋が家を出る後押しをしたのだそうです。

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心細さから涙が止まらなくなる

こうして、西鹿児島駅から神戸行きの「高千穂」に乗り込んだ西郷さんは、当時は、神戸まで24時間以上もかかったことから、デッキにビニールシートを敷いて座り込んでいたそうですが、

買ってきたお弁当を食べようとふたを開けると、汽車の蒸気による薄黒いススがデッキにまで入ってきて、白いご飯がちょっとだけ黒くなったそうで、

気を取り直し、落ち着いて、再びお弁当を食べようとしたそうですが、またしても、ススがご飯にかかったそうです。

すると、突然、涙がとめどなく溢れて止まらなくなり、

オレはとんでもないことをしちゃったのではないか。もう絶対に戻れない。もう誰も頼れない

と、思い切り泣きながら、お弁当を食べたのだそうです。

その後は、空腹が満たされたせいか少し落ち着き、デッキで歌を歌うと、気持ちが前向きになってきたそうで、いつの間にか眠り込んでしまい、気がつくと、翌日になっていて、神戸に到着したのだそうです。

(当時、家を出るということは、もう二度と実家には戻らない、両親には会えない、ということを意味していたそうで、西郷さんの決意が並々ならぬものだったことが分かります)

「西郷輝彦は昔歌手で落選し俳優としてスカウトされていた!」に続く

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