少年時代、格闘技に夢中になるも、そこで知り合った少しグレた仲間との付き合いを心配したお母さんやお兄さんによって、仲間と切り離された、橋幸夫(はし ゆきお)さんですが、そのうえ、歌謡教室にも通わされ、挙げ句の果てには、家族の期待を背負って、プロの歌手を目指すことになります。
「橋幸夫の生い立ちは?小中学時代は格闘技に夢中だった!」からの続き
中学2年の時に「遠藤実歌謡教室」に連れて行かれる
中学2年生の時、空手で知り合った少しグレた仲間と付き合うようになったことを心配したお母さんとお兄さんの「仲間から切り離し作戦」により、中野区に移らされた橋さんは、バス通学になり、だんだん、仲間と会えなくなったそうですが、
(お兄さんとお母さんの「仲間から切り離し作戦」は、見事、成功したのでした)
それでも、心配なお母さんは、橋さんの遊ぶ時間を無くそうと、学校が終わった後、何かのレッスンに行かせられることに。
すると、橋さんの家の隣の床屋さんが、たまたま、「遠藤実歌謡教室」の生徒だったことから、お母さんとお兄さんが、橋さんをなんとか教室に入れられないかと掛け合ったそうで、
ある日のこと、橋さんが学校から帰ってくると、「今日は出かける」と行って、強引に遠藤先生の家に連れて行かれたのだそうです。
(もちろん、遠藤先生とは初対面で、遠藤先生は、橋さんがまだ中学2年生だと知るととても驚いたそうです)
「遠藤実歌謡教室」に嫌々通わされる
こうして、無理やり遠藤先生の歌謡教室に連れていかれた橋さんは、お母さんに、「そのうち好きになるから」と言われながら、以降、週2回レッスンを受けることになったそうですが、
学校から帰ってくると、お兄さんに拉致されるようにバイクに乗せられ、橋さんが住む東京・中野区から「遠藤実歌謡教室」がある西荻窪まで送迎されたそうで、
そのため、友達と遊ぶ時間は完全に無くなり、友達全員と疎遠になったそうで、
(またもや、お母さんとお兄さんの計画は成功したのでした)
橋さんは、
だからこれは散々話しているんだけど、私の芸能界デビューっていうのは、無理矢理なんです。どうしてもこのレールに乗れ、これで行けと家族中がしてくれたんで。とっても本人は不満だったんです(笑)
と、語っておられます。
家族が敷いたレールに乗ってプロの歌手を目指す
そんな橋さんは、まず、初期の生徒としてレッスンを開始すると(初期⇒予科⇒本科⇒研究科と進むそうです)、レッスンを始めて1年ちょっと過ぎた頃、本科になったそうで、この時、本格的に歌を習い始めたそうですが、
(この頃にプロになるかならないかの選択を迫られるそうです)
橋さんが相談する前に、既に、お母さんと兄さんが、「この子は絶対プロにしたい」と、遠藤先生と話をつけており、橋さんはこれに従い、プロの道を目指すことになったそうで、
遠藤先生から、
もうこれからプロ志向になるんだから、これから学校行きながらだけど、ちゃんとキャリアを積めよ
と、言われると、
橋さんは、
はい
と、返事するしかなかったのだそうです。
家族の期待を背負っていた
ちなみに、帰宅後はいつも、お母さんやお兄さんがその日のレッスンや先生のことを聞いてきたそうで、
まだ中学生で思春期だった橋さんは、あまりしゃべりたくなく、
いいじゃん、どうだって!
と、言ったそうですが、
お兄さんから、
そんなことないよ! 俺たちがちゃんと先生に頼んでるんだから、ちゃんと今日あったことを話せ!
と、言われ、
仕方なく、
プロになるってお母さんにも言われてるんだから、君もちゃんとやれよ
と、先生に言われたことを話すと、
お母さんとお兄さんは大喜びしたそうで、橋さんは、家族の期待を一身に背負っていたのだそうです。
「橋幸夫は昔「日本コロムビア」のオーディションに落選していた!」に続く