西部劇ドラマ「ローハイド」のヒットに続き、マカロニ・ウエスタン3部作「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕日のガンマン」も大ヒットし、世界的スターとなった、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんですが、この後、さらなる成功を掴みます。
「クリント・イーストウッドは昔「夕陽のガンマン」で大ブレイクしていた!」からの続き
「ダーティハリー」の爆発的ヒットで一躍トップスターの座を確立
マカロニ・ウエスタン3部作「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕日のガンマン」が、アメリカでも公開され、大ヒットすると、アメリカでも人気俳優の地位を確立したイーストウッドさんは、
1971年には、サンフランシスコを舞台に、職務遂行のためには暴力的な手段も辞さないハリー・キャラハン刑事と正体不明のベトナム帰還兵で連続無差別殺人鬼「スコルピオ」との攻防を描いた、ドン・シーゲル監督作品「ダーティハリー」に出演。
すると、組織や法律が厳しくなっていく時代において、強引な捜査を行うアウトローでありながら、直情型で信念を貫徹するアンチヒーロー、ハリー・キャラハン刑事が人気を博し、世界的な大ヒット。
「ダーティハリー」より。
以降、「ダーティハリー」は、
「ダーティハリー2」(1973)
「ダーティハリー3」(1976)
「ダーティハリー4」(1983)
「ダーティハリー5」(1988)
と、シリーズ化され、それまで、マカロニ・ウエスタンの俳優というイメージが強かったイーストウッドさんも、ついに、純粋なトップスターの地位を確立します。
「Go ahead, make my day」の決め台詞が世界中で大ブーム
また、監督も務めた「ダーティハリー4」では、自身が扮するハリー・キャラハン刑事の決め台詞「Go ahead, make my day」が世界中でブームを巻き起こすなど、映画史上に残る名台詞として現在も語り継がれています。
ちなみに、この「ダーティハリー」シリーズでは、凶悪犯人・スコルピオが、愉快犯的無差別殺人に興じたり、犯行声明文を警察に送りつけるほか、電話で警察やマスコミを翻弄する劇場型犯罪を繰り広げているのですが、
これは、製作当時、サンフランシスコで起き、現在も未解決の「ゾディアック事件」をモデルにし、アメリカの社会の世相を色濃く反映したものだと言われたのですが、
イーストウッドさんは、後に、DVD収録の特典映像の中で、
私もシーゲルも特に世相を意識したという訳ではなく、ただ面白い映画を作ろうと思っただけだった
と、語っています。
「ダーティハリー」より。イーストウッドさん(左)と「スコルピオ」役のアンディ・ロビンソンさん(右)。
ドン・シーゲル監督の才能を感じ出演を快諾していた
ところで、イーストウッドさんは、1968年、西部劇「奴らを高く吊るせ!」に出演した後、この映画が公開される前に、次作「マンハッタン無宿」(ダーティー・ハリーの原型とも言われている刑事ドラマ)の撮影に入っているのですが、
実は、この「マンハッタン無宿」、駆け出し時代に解雇され、以来、険悪な関係となっていた「ユニバーサル」から、和解を求められ、100万ドルの出演料が提示されたオファーだったそうで、
監督を務めるドン・シーゲル監督との会談がジェニングス・ラングさんによってセッティングされたそうですが、
イーストウッドさんは、シーゲル監督のこれまでの作品3作を観て、その無駄のない演出に、才能を感じたことから、出演を快諾したそうで、
同じく、シーゲル監督作品「ダーティハリー」(ドン・シーゲル監督は第1作目のみ)にも出演したのだそうです。
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