オフ・ブロードウェイの舞台で高い評価を得るも、そこにしがみつがず、改めて自身のルーツに向かうべく放浪の旅に出るなど、自身の信念に従って演技を追究し続けた、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)さんは、B級映画の中でも高い評価を得るようになります。

「ロバート・デ・ニーロが若い頃は「ブルーマンハッタン」で高評価を得ていた!」からの続き

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B級映画製作の帝王ロジャー・コーマン監督を紹介される

ブライアン・デ・パルマ監督作品「ブルーマンハッタン2/黄昏のニューヨーク」(1968)、「ブルーマンハッタン/哀愁の摩天楼」(1970)での演技が高い評価を得たデ・ニーロさんですが、

1970年には、以前、「アクターズ・スタジオ」を紹介してくれた、女優のシェリー・ウィンタースさんが、今度は、ハリウッドのB級映画製作の帝王と呼ばれた、ロジャー・コーマン監督を紹介してくれたそうで、

コーマン監督の「血まみれギャングママ」というB級映画のテストを受けると、見事合格。デ・ニーロさんは、モルヒネ中毒で殺されるサディスティックな人物・ロイド・ベイカー役に起用されます。

B級映画「血まみれギャング・ママ」の演技でも高い評価を得る

すると、デ・ニーロさんは、地元の訛(なま)りと話し方をマスターするため、テープレコーダーとノートを持って、映画の舞台となるアーカンソー州まで1人で赴(おもむ)き、地元の訛りやアクセントを完璧にマスターするほか、短期間で13キロ減量し、本当の薬物中毒患者のようになったそうで、

コーマン監督らスタッフは、そんな姿でロケ現場に現れたデ・ニーロさんを見て、度肝を抜かれたそうです。

というのも、当時、ハリウッドスターは、セクシーさやカリスマ性で観客を魅了するため、演じる役に対する徹底的な役作りは必要ない作業だと考えられており、

これまで、デ・ニーロさんのように、舞台となる土地の訛りやアクセントを習得してまで演じる俳優はいなかったからなのでした。


「血まみれギャング・ママ」より。

(この映画自体は批評家にこきおろされたそうですが、デ・ニーロさんの演技は、たちまち注目を集めたそうです。)

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映画「The Gang That Couldn’t Shoot Straight」の演技でも高い評価を得る

そんな、デ・ニーロさんは、その後、シェリー・ウィンタースさんのアドバイスで、再び、舞台に出演するようになると、シアター・カンパニー・オブ・ボストンのレパートリーシーズン(公演場で一定の期間を決めておいて全体プログラムを事前構成し、一般に提供すること)に参加するほか、シェリーさんが企画するニューヨークでの舞台、名門アメリカン・プレイス・シアターの舞台などで活動。

そして、1971年、28歳の時には、映画「The Gang That Couldn’t Shoot Straight」で、イタリアから来たギャング役に起用されると、

いつものごとく、徹底的に役作りをするため、イタリアの下層階級の殺し屋のアクセントを身につけようと、テープレコーダーと役になりきるための服を数枚持ってイタリア南部に飛んだそうで、

(この役は、もともと、アル・パチーノさんが演じるはずでしたが、「ゴッド・ファーザー」出演のため、降板され、デ・ニーロさんに回ってきたのだそうです)

血まみれギャングママ」同様、映画自体はまったく評判にならないながら、デ・ニーロさんの演技だけは、高く評価されたのでした。

ちなみに、1971年の暮れ頃には、批評家だけではなく、大手映画会社の賃金台帳にデ・ニーロさんの名前が載るようになるなど、映画監督からも、デ・ニーロさんの名前とその存在は、広く知れ渡るようになったのでした。

「ロバート・デ・ニーロは昔「ゴッドファーザー2」でブレイク!」に続く

「The Gang That Couldn’t Shoot Straight」より。

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