10歳の時、自身がユダヤ人であることを知ると、やがて、周囲との関わり合いの中で、ユダヤ人が差別される対象であることを知り、以来、自身のルーツをひた隠しにしてきたという、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)さんですが、現在の奥さんに出会い、すべてが変わったといいます。

「ダスティン・ホフマンはユダヤ人として差別されていた!」からの続き

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人々の無意識の人種差別の凄まじさを体験していた

自身がユダヤ人であることにより、差別を感じながら育ったというホフマンさんですが、人々の無意識の人種差別は凄まじいものだと実感されているといいます。

というのも、ホフマンさんは、2003年、映画「ニューオーリンズ・トライアル」(Runaway Jury)で、アメリカ南部の弁護士役を演じられているのですが、この映画のレビューで、誰かが、南部の紳士(弁護士)をホフマンさんが演じるなんてミスキャストだとコメントしたそうで、

これは、南部の紳士がユダヤであってはならないという、無意識の人種差別から、ホフマンさんが、ミスキャストだと暗にほのめかしたものだったのでした。

妻リサとの出会いで自分をユダヤ人と認めることができるように

ただ、ホフマンさんがそのことを妻のリサさんに言うと、

リサさんは、

まあ、あなたはいつもミスキャストされていたじゃない

と、冗談で返してくれたそうで、

実は、リサさんは、いつも、(ホフマンさんが無意識の奥深くで感じている)ユダヤの伝統をとても大切にしてくれ、それが、ホフマンさんのユダヤ人であるという劣等感を変えてくれていたそうで、

そのお陰で、今では、自分がユダヤ人であるということを強く意識することができるようになり、また、あらゆるユダヤ人差別に対して、強い気持ちで受け止めることができるようになったのだそうです。

ちなみに、ホフマンさんは、

真実は、人々がこの国に2億人いるということですが、私はユダヤ人の数が600万人なのか700万人なのか知りません。おそらく、世界には1300万人いると思います。

ある意味で、少数派の私たちは定義上ミスキャストですよね?それは神による誤解の一部なのです。

と、語っており、

今では、はっきりと、自分がユダヤ人であることを、認めることができるようになったようです。

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幼少期はピアニストを目指すも18歳の時に医学の道に転身

さておき、ホフマンさんは、家具デザイナーのお父さん・ハーヴェイ・ホフマン(Harvey Hoffman)さんと、お母さん・リリアンさんのもと、2人兄弟の次男として誕生すると、6歳の時には、ピアノを習い始め、幼い頃からピアニストを目指したそうです。

(お父さんは、かつて、映画監督を目指していたこともあり、 「コロンビアピクチャーズ」で、小道具の監督として働いていたそうです)

そして、高校卒業後には、ピアニストを目指し、ロサンゼルス音楽学校に入学すると、当初は、クラシックのピアニストを志望し、やがて、ジャズピアニストに転向したそうですが・・・

やがて、医学に興味を持つようになったそうで、その1年後には、ロサンゼルス音楽学校を中退し、医学を勉強するために、1955年、サンタモニカ州立大学に進学されたそうです。

(ホフマンさんは、後に、「私は音楽の才能がなかった」と語っていることから、この時、音楽の道を断念したようです)

「ダスティン・ホフマンが俳優になったきっかけは大学卒業のためだった!」に続く

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