1964年の来日時、黒柳徹子さんと寸劇を披露し、新たな一面を魅せた、アラン・ドロン(Alain Delon)さんは、1971年には、レナウンの紳士服「ダーバン」のCMに出演し、日本でさらなる人気を博しているのですが、実は、このCM、三船敏郎さんの「三船プロダクション」が製作したものだったそうです。
「アラン・ドロンは来日時に黒柳徹子を口説く寸劇を真剣にしていた!」からの続き
「ダーバン」のCMに11年に渡って出演
ドロンさんは、1971~1982年、レナウンの紳士服「ダーバン」のCMに出演しているのですが、1970年に誕生した「ダーバン」は、翌年の1971年にドロンさんをCMに起用したことで大きく脚光を浴びたそうです。
そして、この時すでに大スターだったドロンさんの出演交渉を買って出たのが、俳優の三船敏郎さんだったそうです。
映画「レッド・サン」で三船敏郎と共演していた
というのも、当時、三船さんは、国内でのオファーや、自身の芸能事務所「三船プロダクション」の売上げに悩みつつも、海外からのオファーは絶えなかったことから、数ある海外からの企画の中で、「レッド・サン」(1971年)に出演することにしたそうですが、
メインの出演者が、主演のチャールズ・ブロンソンさんと三船さんは決定していたものの、あと一人が未定だったそうで、三船さんの右腕として働いていたプロデューサーの田中壽一さんが、
日本とアメリカの俳優が共演してるし、それ以外の組み合わせなら、ヨーロッパの俳優はどうですか
と、提案したことから、
(三船さんは、海外では大スターだったため、キャスティングや製作にも、好きなように携わることができたそうです)
ちょうど、「太陽がいっぱい」が公開された後で、日本でも人気が爆発していたドロンさんにオファーすると、
ドロンさんは、
ムッシュ・ミフネと映画の仕事がしたいから出る
と、快諾。
この共演で、ドロンさんと三船さんは親交を深め、ドロンさんが、「三船プロダクション」が製作した「ダーバン」のCMに出演することになったのでした。
(二人の交流は、三船さんが1997年に他界するまで続いたそうです。)
「レッド・サン」より。ドロンさん(左)と三船敏郎さん(右)。
アラン・ドロンが出演した「ダーバン」のCMが大ヒット
そして、「ダーバン」は大ヒットとなり、売上に悩んでいた「三船プロダクション」も大成功を収め、
田中さんは、
このアラン・ドロンを配役したことが、三船プロにとってとっても幸運だったんです。ダーバンのCM製作に繋がっていった訳ですからね
と、語っているのですが、
ドロンさんも、この映画「レッド・サン」での三船さんとの共演で三船さんに魅せられ、後に、三船さんをイメージした香水「SAMOURAI」を作ると、これが日本で大ヒットとなっており、ビジネス面でも、お互い良い思いができたようです♪
アラン・ドロンは「三船プロダクション」の10周年記念パーティーの為に来日していた
ちなみに、田中さんによると、「三船プロダクション」設立10周年を記念して、帝国ホテルでパーティーを開催した際には、ドロンさんが駆けつけてくれたそうですが、羽田空港は、ドロンさん見たさに集まった5000人ものファンで身動きが取れないほどで、
さらには、多くの女優たちからは、
私はアラン・ドロンの大ファンなのに、どうしてパーティに招待してくれなかったの
と、恨まれたそうですが、
特に、日比谷の映画館で行われた特別試写会では、
日比谷の警察署が車両規制してくれたおかげで、映画館近辺の道路がきれいに空いていたんです。その中を三船さんのロールス・ロイスが走り、アラン・ドロンと2人で車から降りてきたときの歓声といったら凄かった。僕はその時、映画ってなんて凄いんだろうと思いました。
と、アラン・ドロンの人気の凄まじさを語っています。
「アラン・ドロンのデビューからの出演映画ドラマを画像で!」に続く