本国フランスを中心に、ヨーロッパで人気を博すと、日本でも凄まじい人気を博していたという、アラン・ドロン(Alain Delon)さんですが、来日時には、黒柳徹子さんを相手役に真剣に寸劇をしていたそうで、その手を抜かない姿に黒柳さんが感銘を受けたことを著書に綴っています。

「アラン・ドロンは昔日本での人気が凄まじかった!」からの続き

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来日時には黒柳徹子を口説く寸劇を真剣にしていた

ドロンさんは、1964年、映画「危険がいっぱい」の宣伝で来日すると、その際、当時の人気番組「夢であいましょう」に出演し、共演者の黒柳徹子さんを口説くという寸劇をされているのですが、

共演した黒柳徹子さんは、その時のことを、著書「マイ・フレンズ」の中で、

アラン・ドロンさんは、実に地味な紺色のスーツに、細い紺のネクタイで、スタジオに現れた。

アラン・ドロンさんから見れば、全く見たこともない無名の私たちと、テレビで寸劇(スケッチ)をやるわけだった。それなのに絶対に気を抜かなかった。

あれだけの大スターが、ただの一度も、馬鹿にした風な態度も、また、くたびれた様子もなくやる、という事に、私は胸を打たれた。

と、ドロンさんのプロ意識の高さと真摯な姿に感銘を受けたと、綴っています。


「夢であいましょう」より。ドロンさんと黒柳徹子さん。

アラン・ドロンが来日時は濃紺のスーツにこだわっていた

実は、ドロンさんは、フランス本国では、常に、演技派俳優のジャン・ポール・ベルモンドさんと比較され続け、人気を競っていたことから、この来日では、何が何でも日本で映画「危険がいっぱい」をヒットさせたいと考えており、そのため、日本のテレビ番組でも、一切、手を抜かず、真剣に取り組んでいたと言われているのですが、

黒柳さんが言っていた、濃紺のスーツに濃紺のネクタイという服装も、その真剣さの現れの一つだったのではないかと考えられています。

(1964年の来日時には、「夢であいましょう」以外でも、濃紺のスーツに濃紺のネクタイという服装だったそうです)

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濃紺は「藍染」(真剣で惑いのない色)

というのも、濃紺は、日本では古く奈良時代から行われてきた「藍染」の色で、青く染めたものは、(海や空の色のように)色褪せることがないことから、心変わりのない自らに忠実な精神の証しであり、それを表現する「真摯な色」だと考えられていることから、それを知ったドロンさんが、濃紺のスーツにこだわり続けたのではないかと考えられているのです。

(濃紺(藍染)は、ヨーロッパでは、その美しさから、戦前まで、「ジャパン・ブルー」と言われ、ヨーロッパの人を魅了したそうです)

もしかしたら、日本でのドロンさんのありえないほどの人気は、見た目の美しさだけではなく、このように真摯に仕事に取り組む姿にも好感を覚えたからなのかもしれません。

「アラン・ドロンのCM「ダーバン」出演は三船敏郎からのオファーだった!」に続く

来日時のドロンさん。

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