1957年、22歳の時、「女が事件にからむ時」で映画デビューして以来、2017年に引退を発表するまで、60年に渡り、俳優として活動を続け、日本でも絶大な人気を誇った、アラン・ドロン(Alain Delon)さん。今回は、そんなドロンさんの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「アラン・ドロンのCM「ダーバン」出演は三船敏郎からのオファーだった!」からの続き

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出演作品(映画)

それではここで、ドロンさんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1957年「女が事件にからむ時」
     「黙って抱いて」
1958年「恋ひとすじに」
1959年「お嬢さん、お手やわらかに!」
     「学生たちの道」


「恋ひとすじに」より。ドロンさんとロミー・シュナイダーさん。

1960年「太陽がいっぱい」
     「若者のすべて」
1961年「生きる歓び」
     「素晴らしき恋人たち」
1962年「太陽はひとりぼっち」
     「フランス式十戒」


「素晴らしき恋人たち」より。ブリジット・バルドーさんとドロンさん。

1963年「地下室のメロディー」
     「山猫」
1964年「黒いチューリップ」
     「危険がいっぱい」
     「黄色いロールス・ロイス」


「山猫」より。クラウディア・カルディナーレさんとドロンさん。

1965年「泥棒を消せ」
1966年「名誉と栄光のためでなく」
     「パリは燃えているか」
     「テキサス」
1967年「冒険者たち」
     「サムライ」
     「悪魔のようなあなた」


「パリは燃えているか」より。ドロンさんとシモーヌ・シニョレさん。

1968年「世にも怪奇な物語」
     「あの胸にもういちど」
     「さらば友よ」
     「太陽が知っている」


「さらば友よ」より。チャールズ・ブロンソンさん(左)とドロンさん(右)。

1969年「ジェフ」※製作も
     「シシリアン」
1970年「ボルサリーノ」※製作も
     「仁義」
     「栗色のマッドレー」


「ボルサリーノ」より。ドロンさん(左)とジャン・ポール・ベルモンドさん(右)。

1971年「もういちど愛して」
     「レッド・サン」
     「帰らざる夜明け」
1972年「暗殺者のメロディ」
     「高校教師」
     「リスボン特急」
     「ショック療法」


「高校教師」より。ソニア・ベトローバさんとドロンさん。

1973年「スコルピオ」
     「燃えつきた納屋」
     「ビッグ・ガン」
     「暗黒街のふたり」


「暗黒街のふたり」より。ドロンさんとジャン・ギャバンさん。

1974年「個人生活」
     「愛人関係」
     「ボルサリーノ2」※製作も
1975年「アラン・ドロンのゾロ」
     「フリック・ストーリー」※製作も
     「ル・ジタン」※製作も


「愛人関係」より。ドロンさんとミレーユ・ダルクさん。

1976年「パリの灯は遠く」※製作も
     「ブーメランのように」
1977年「友よ静かに死ね」※製作も
     「プレステージ」※製作も
     「チェイサー」


「パリの灯は遠く」より。

1978年「ナイトヒート」
1979年「エアポート’80」
     「未知の戦場/ヨーロッパ198X」
1980年「ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー」※脚本・製作も
1981年「テヘラン 43」
     「危険なささやき」※監督・脚本・製作も


「危険なささやき」より。

1982年「最後の標的」※脚本も
1983年「鷹」※監督・脚本・製作も
1984年「スワンの恋」
     「真夜中のミラージュ」


「真夜中のミラージュ」より。ドロンさんとナタリー・バイさん。

1985年「復讐のビッグガン」
1986年「デーモン・ワールド」
1988年「アラン・ドロン/私刑警察」※脚本も
1990年「ヌーヴェルヴァーグ」


「デーモン・ワールド」より。

1992年「カサノヴァ最後の恋」
1995年「百一夜」
1998年「ハーフ・ア・チャンス」
2008年「アステリックスと仲間たち オリンピック大奮闘」


「カサノヴァ最後の恋」より。 エルザさんとドロンさん。

出演作品(テレビドラマ)

テレビドラマでは、

2002年「アラン・ドロンの 刑事物語」
2003~2004年「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」

ほか、数多くの作品に出演されています。

受賞歴

そんなドロンさんは、

1964年には、「山猫」で、「ゴールデングローブ賞有望若手男優賞」にノミネート
1972年には、「ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞特別賞」を受賞
1977年には、「パリの灯は遠く」で、「セザール賞最優秀男優賞」にノミネート
1978年には、「チェイサー」で、「セザール賞最優秀男優賞」にノミネート
1985年には、「真夜中のミラージュ」で、「セザール賞最優秀男優賞」を受賞
1995年には、「ベルリン国際映画祭名誉金熊賞」を受賞

そして、2019年には、長年の映画への貢献を讃えられ、「第72回カンヌ国際映画祭」「名誉パルムドール」を受賞されています。

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「高校教師」では落ちぶれた教師役も

ところで、ドロンさんは、1972年、高校教師と美しい女生徒の報われぬ愛と葛藤を描いたヴァレリオ・ズルリーニ監督作品「高校教師」で、いつも同じコートにタートルのセーター、無精髭(ぶしょうひげ)、髪の毛はペタッとして、肩にはフケが積もっているような、落ちぶれた中年の高校教師ダニエレ・ドミニチ役を演じ、周囲を驚かせました。

ただ、ドロンさんは、2007年、日本のバラエティ番組「SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!」の「BISTRO SMAP」に出演した際、自身の主演作ベスト5の中のひとつに、この「高校教師」を挙げているほど、この作品を気に入っているようで(ほか4作品は、「太陽がいっぱい」(1960)、「山猫」(1962)、「太陽が知っている」(1969)、「暗黒街のふたり」(1973))、

1996年、「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューでも、

私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。(マルチェロ・)マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の「暗殺者のメロディ」の撮影中だった。

(ヴァレリオ)ズルリーニ(監督)がやって来て、私は彼とは面識があった、彼は(ルキノ・)ヴィスコンティ(監督)の友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に「高校教師」のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。

監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ。「やるよ!」ってね。

これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。

「タタール人の砂漠」「家族日誌」「鞄を持った女」などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は”La prima notte di quiete” 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・

「高校教師」は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。

それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。「山猫」のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。

と、熱い思いを語っています。

また、ドロンさんのような二枚目俳優が、このような壊れたような人間の役をやるのは、賭けだったのでは、というインタビュアーの質問に対しては、

毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ。ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。

私がギャング映画をやったのは、正に「高校教師」や「パリの灯は遠く」を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!「真夜中のミラージュ」をやった時も、酷評だったよ。ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・

と、語っています。

「アラン・ドロンは若い頃ロミー・シュナイダーと婚約していた!」に続く

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