1959年、22歳の時、ドイツ人女優・ロミー・シュナイダーさんと婚約した、アラン・ドロン(Alain Delon)さんですが、1963年、26歳の時には、ナタリー・ヴァルテルミーさんと婚約し、結婚。しかし、ナタリーさんとも、早々に離婚されています。
「アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの破局理由は?」からの続き
ナタリー・ドロンとの馴れ初め
ドロンさんは、1963年、パリのクラブ「サンティレール」で、モデルで写真家のナタリー・ヴァルテルミーさんと知り合うと、少年時代の育った境遇が似ていたことで強く惹かれ合ったそうで、
同年夏、映画「黒いチューリップ」の撮影中には、ロケ地であるスペインにナタリーさんを同伴しており、交際が公となります。
(この時、ドロンさんは、まだ、ロミー・シュナイダーさんと婚約中でした)
ナタリー・ドロンと結婚
そして、翌年の1964年4月にはナタリーさんとの婚約を発表し、婚約パーティーを盛大に行うと、
(パリに住む有名人・著名人が大勢参加したそうです)
それから4ヶ月後の8月13日、(婚約パーティーの時とは打って変わり)役場でひっそりと結婚式を挙げられています。(ナタリーさんは再婚)
(当初は、1965年の秋にアメリカで挙式する予定だったそうですが、ナタリーさんの妊娠が判明したことで、マスコミに知られるのを避けるため、内密に結婚式を挙げたようです)
ちなみに、ドロンさんの友人・パスカル・ジャルダンさんは、
彼がナタリーと結婚した時、私は、彼らがあまりにも似ていることに驚いた。彼はもう一人の自分を見つけたのだ。彼女は彼が女になったようなものだった。 彼女は彼の恋人でありながら、同時に妹のようでもあった。
と、語っています。
ナタリー・ドロンとの離婚理由はナタリーの女優継続?
しかし、早くも、1967年8月には、ドロンさんが裁判所に離婚を申請し、翌年の1968年には、ナタリーさんが家を出る形で別居となると、1969年9月には離婚が成立。
離婚理由には2つの説があるのですが、まず1つ目は、女優を続けたいナタリーさんに対し、ドロンさんが猛反対したことだと言われています。
(ナタリーさんは、1968年、映画「サムライ」にドロンさんと夫婦共演し、映画デビューを果たしているのですが、実は、ドロンさんの反対を押し切る形で、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、強引に夫婦共演させたそうです。また、ナタリーさんは、1968年、映画「個人教授」で、青春スターだったルノー・ベルレーさんと共演し、主人公の高校生(ベルレーさん)に憧れられる年上の女性を好演すると、人気が急上昇していました)
ナタリー・ドロンとの離婚理由はナタリーの不倫?
そして、2つ目の説は、ナタリーさんと、ドロンさんの付き人兼ボディーガードのステファン・マルコヴィッチさんの不倫で、
マルコヴィッチさんが、1968年9月初旬に、ナタリーさんに会いたいと連絡を入れ、9月16日に会っていたそうですが、翌月の10月1日には、マルコヴィッチさんが射殺体で発見され、ドロンさんとナタリーさんは、マルコヴィッチさん殺害を疑われて、警察の尋問を受けています。
(その後、ナタリーさんが、イタリアへ発つ形で、家を出ています)
離婚後も良好な関係だった
そんなお二人ですが、離婚後も関係は良好だったようで、2020年のクリスマスを一緒に過ごしていたそうです。
ただ、2021年1月21日には、ナタリーさんがガンのため他界し、
(息子のアントニーさんによると、非常に進行の速いガンを患っていたそうです)
ドロンさんは、
とても悲しい。愛した人たちがこの世を去るのは、いつも非常につらい
ナタリーは私の最初の妻であり、唯一のドロン夫人でした
私たちは常に連絡を取り合っていました。よく会っていました。私は彼女の人生の一部であり、彼女は私の人生の一部でした。クリスマスをまた一緒に過ごしていました。一緒に写真も撮りました。最後の写真です
と、コメントしています。
「アラン・ドロンと元彼女ミレーユ・ダルクの馴れ初めは?」に続く
2020年12月11日、息子アントニーさんによって投稿されたクリスマス休暇でのナタリーさんとドロンさん。