1965年に初めて出会って以来、お互い、惹かれ合いながら、仲が進展することがなかった、アラン・ドロン(Alain Delon)さんと女優のミレーユ・ダルクさんですが、3年の歳月を経た1968年、ついに、深い仲となっていきます。
「アラン・ドロンと元彼女ミレーユ・ダルクの馴れ初めは?」からの続き
ミレーユ・ダルクと交際を開始
お互い、惹かれ合いながら、数年の間、交際には発展しなかった、ドロンさんとミレーユ・ダルクさんですが、1968年、ミレーユさんがドロンさんに電話をしたタイミングが、ちょうどドロンさんが主演舞台が中止になって落ち込んでいた時だったこともあり、ドロンさんは、ミレーユさんがイタリアに行くことを知ると、ミレーユさんを追いかけてイタリアへ向かいます。
そして、ドロンさんが、ミレーユさんと共にイタリアで過ごした後、次作「太陽が知っている」(1969)の撮影のため、ロケ先である、フランス・サントロペに向かうと、
ミレーユさんも、イタリアでの撮影を終えた後、ドロンさんを追ってサントロペまで行き、そこで、再び共に過ごしたそうで、その後、ミレーユさんは、片時もドロンさんと離れず、ドロンさんの撮影後は、遠回りをしながら、パリへ一緒に帰ったのでした。
ミレーユ・ダルクが二人の新居を建てる
そんな二人は、一緒に暮らすことにしたそうですが、ちょうど、ミレーユさんが、邸宅を建てるために土地を購入したばかりだったことから、
ミレーユさん自身が、建築長となって緑の領域を構想し、新しい屋敷の設計図を描くと、古い城やチャペルの壁を取り壊したり、土をかき混ぜたり、池を掘ったりするためにブルドーザーまで運転するほか、映画アシスタントに手伝ってもらいながら、最初から最後まで工事を指揮したそうで、
ミレーユさんは、
私が全てコーディネートしたんですよ。全部気に入っています。アランは、私を全面的に信頼して任せてくれたから、私は構築して建てたんです
と、語っています。
ちなみに、ミレーユさんは、この頃のドロンさんについて、
私達は、ちょっと変わった雰囲気の中で生活していたんです。マルコビッチ事件は最高潮に達していたし、アランの周りには常に警察官がつきまとっていました。
彼が一歩踏み出すごとに長い行列がついてまわって、いつも後をつけられ、監視されていました。
と、語っています。
ミレーユ・ダルクに映画「ジェフ」のヒロイン役を勧める
さておき、そんな中、ドロンさんは、自らプロデュースする映画「ジェフ」(1969)の撮影のため、フランスのアントワープとベルギーのブルージュに向けて出発することになったそうですが、
(工事を一時中断し)映画「枯葉の街」の宣伝のため、ヨーロッパ中を駆け回っていたミレーユさんに、ドロンさんが、映画「ジェフ」のヒロイン・エバ役をやってみないかと提案。
すると、ミレーユさんもその申し出を快諾し、二人は、当然のように一緒にベルギーへと発ったそうで、
ミレーユさんは、
私の人生のこの時期を思う時、私はこの頃、とっても強く激しい何かを生きていたのだという気がします。私達が乗り越えた試練が、二人をより強い絆で結ばせてくれました。まるで溶接でくっつけられたといってもいいみたいに。
私は、彼を愛し、この人生において、俳優だとは感じさせないひとりの男性と暮らしました。アランとは、俳優としての存在を分かち合うと感じた事は、一度もありませんでした。俳優カップルなどと呼ばれないように、私達はいつでもできる限りをしてきたのですから
と、明かしています。
(ちなみに、ドロンさんは、決してミレーユさんに、演技指導をしたり、助言することはなかったそうです)
「アラン・ドロンは元彼女ミレーユ・ダルクの最期を看取っていた!」に続く
「ジェフ」より。ドロンさんとミレーユ・ダルクさん。