1987年、プロデューサーの横澤彪さんに見初められ、お昼の帯番組「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されると、たちまち、全国的な人気者となった、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、10年ほど経った頃、降板を申し入れ、タモリさんに強く引き留められていたことがあったといいます。
「笑福亭鶴瓶は若い頃「笑っていいとも!」で東京進出に成功していた!」からの続き
「笑っていいとも!」を降板しようと考えていた
鶴瓶さんは、「笑っていいとも!」のレギュラーになって10年程経った頃、降板を申し出たことがあったそうです。
というのも、長年レギュラーだった、所ジョージさん、片岡鶴太郎さん、明石家さんまさんなど、同世代の芸人が次々と「笑っていいとも!」を卒業(降板)していったことから、自身も身を引いたほうがいいのではないかと考えたほか、
その頃、鶴瓶さんは、日本全国で認知こそされているものの、自身の芸風が確立されている訳ではなく、そんな自身の現状にもやもやしたものを感じていたそうで、
東京でもっと自分らしいテレビの出方をするためには、「いいとも!」を辞めて退路を断たなければならない、と考えていたのだそうです。
タモリに降板を強く引き留められていた
こうして、鶴瓶さんは、降板することを決意し、3月いっぱいで卒業と決まったそうで、タモリさんにも、直接伝えるため、飲みに誘い、降板を報告して、「お世話になりました」と挨拶したそうですが・・・
タモリさんからは、
ダメだよ。あなたは辞めたらダメ。あなたは違う
と、珍しく、強い調子で反対され、
さらには、鶴瓶さんのもやもやを見透かしたかのように、
あなたね、「いいとも!」はね、ジャブが効いてくるよ。あなた絶対やっときなさいよ
と、アドバイスされたというのです。
(タモリさんは、その場で、番組プロデューサーにも電話し、「(辞めさせたら)ダメだからね」と、クギを刺したそうです)
タモリの真摯なアドバイスに絆され「笑っていいとも!」終了まで出演することを決意
こうして、鶴瓶さんは、タモリさんの真摯(しんし)なアドバイスに絆(ほだ)され、「笑っていいとも!」が終わるまで、タモリさんと一緒にいると決意したそうで、
実に、1987年から、番組が終了する2014年までの27年間という長きに渡り、「笑っていいとも!」に出演し続けたのでした。
(タモリさんが、これほど共演者を慰留することはほとんどなかったそうで、それほど、タモリさんにとって鶴瓶さんは特別な存在だったようです)