結婚して40年以上経った現在も、妻・安藤和津さんと夫婦揃って仲の良い姿を見せている、奥田瑛二(おくだ えいじ)さんですが、ここまでの道のりは、順風満帆という訳ではなかったようです。

「奥田瑛二の嫁は安藤和津!馴れ初めは?」からの続き

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結婚生活は円満ではなかった

奥田さんが結婚後も派手な女性関係を繰り返していたことから、決して家庭円満ではなかったという、奥田さんと安藤さんですが、

ある時には、奥田さんが、安藤さんが作ったお弁当の中にあったプチトマトを見て、

冷蔵庫にあったゴミみたいな物

と、言ったことがあったそうで、

お弁当に赤いもの(プチトマト)を入れることをとても大事にしていた安藤さんは、

あなたは私にとって大事なことを分かっていない!

と、明け方4時くらいまで大ゲンカ。

挙げ句の果には、奥田さんが逆切れして、

離婚届もってこい!

と、言ったこともあったといいます。

妻・安藤和津が離婚しなかった理由とは?

そんなことから、安藤さんは、何度も奥田さんとの離婚を考えたそうですが、そのたびに、女の意地と、奥田さんが、1年365日中364日はダメ夫でも、1日だけとてつもなくいい人になることがあったことから、離婚を思いとどまったといいますが、

ある時、お母さんに、奥田さんの浮気を愚痴ったところ、

お母さんから、

いい男と結婚したんだからしょうがないよ。浮気が嫌なら、醜男と結婚すれば良かったんだよ。

と言われて、この言葉にも救われたそうで、

モテ男と結婚できた自分は幸せ者

と、180度考えを変え、乗り越えることができたのだとか。

ちなみに、和津さんは、

だから私はいつも「生まれ変わったら、私に世話を焼かれる奥田瑛二になりたい」と言っているの(笑)一番いいじゃないですか、やりたいことを全部やって。

私は夫から直接お礼を言われたことはないんですけど、彼がバラエティ番組か何かに出た際「僕は女房の作品です」と言ったらしいんです。

あとは他の俳優さんから「奥田さんが『俳優は女房選びが大事だ。俺を見てみろ』って言ってたよ」と聞かされたり。そういう話を耳にするたびに「人に言わないで私に直接言ってよ~!」と思います(笑)

と、語っており、結局のところ、惚れたら負けのようです♪

安藤和津がウツ病に

ただ、そんな状況が一転する出来事が起こります。

安藤さんのお母さんが、「脳腫瘍」で「認知症」となり、介護が必要となったことから、最期は自宅で看取りたいという安藤さんの願いで、お母さんを自宅に引き取ったそうですが、介護はその後お母さんが亡くなるまで13年にも及び、そんな中、安藤さんが「ウツ病」になってしまったのです。

実は、お母さんを引き取った頃、奥田さんが映画製作に億単位のお金をつぎ込んでいたことから、安藤さんが働かなければ生活ができない状態だったそうですが、

安藤さんは、その時40代後半で年齢的な体調の変化もあり具合が悪い時もあったそうですが、仕事を休むわけにはいかず、さらに子育て、そして、介護が加わり、ついには、無理がたたって、ひどい「ウツ病」になってしまったのでした。

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安藤和津の母親の介護を手伝っていた

すると、奥田さんは、積極的にお母さんの介護を担い、お母さんのトイレ介助の際には、お尻が排泄物で汚れているにもかかわらず、おんぶして運んだこともあったそうで、

安藤さんは、

そうなの、そういうところなのね。彼はうちの母とは水と油で、しょっちゅう喧嘩をしていたけれど、いざという時はやってくれる。そういう姿を見ているから、苦労させられても「しょうがないなあ」と許せてしまうんでしょうね。

それに夫は、私が介護ウツでおかしな言動をしても、私を否定するようなことは一度も言わなかった。不満も文句も、何一つ口にすることはなかったんです。

人間って、合わない部分が9あっても、何か1つそういうところがあると、それだけでほだされちゃうところがありますよね(笑)。2つの丸がきれいに重ならなくても、どこか一か所でも繋がっていればやっていけるものなんだなと思います。

若いころ離婚を何回も考えた奥田が、74キロの母をおぶって介護の手伝いをしてくれた。感謝している。離婚しなくてよかった

と、語っています。

「奥田瑛二の娘は安藤桃子(長女)と安藤サクラ(次女)!」に続く


奥田さんと安藤和津さん。

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