1971年4月、17歳の時、「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューするも、鳴かず飛ばずで、日本全国を営業周りしていたという、研ナオコ(けん なおこ)さんですが、やがて、女優やタレント活動で人気を博します。
「研ナオコのデビュー当時はパッとせず地方営業の日々だった!」からの続き
「ザ・スパイダース」田辺昭知との出会い
1971年4月、17歳の時には、「東宝レコード」から、シングル「大都会のやさぐれ女」で歌手デビュー、1971年10月には、セカンドシングル「屋根の上の子守唄」を発売するも、鳴かず飛ばずだった研さんですが、
当時、「東宝レコード」の顧問もしていた、「ザ・スパイダース」のリーダー・田辺昭知さんと知り合ったそうで、1年半ほど経った頃、田辺さん設立の「スパイダクション」に移籍し、
(※現在「スパイダクション」は「田辺エージェンシー」となり、田辺さんが代表取締役社長を務めています)
1972年3月「二人で見る夢」
1972年7月「京都の女の子」
1972年11月「こんにちわ男の子」
「二人で見る夢」
「京都の女の子」
「こんにちわ男の子」
と、立て続けにシングルを発表すると、「京都の女の子」が初のオリコンシングルチャートにランクインします。
テレビドラマ「時間ですよ」や「ミノルタカメラ」のCMで人気に
また、同年、ゲスト出演した人気ドラマ「時間ですよ」では、大口を開けて笑う個性的なキャラクターが、お茶の間で人気を博し、レギュラーに抜擢されるほか、
「ミノルタカメラ」のCMに、愛川欽也さんと共演すると、
美人しか撮らない、だから撮らない
のセリフと共に、カメラを研さんからそらすというシーンで、大口を開けて笑う姿が好評を博すなど、あれよあれよと、研さんの人気はうなぎのぼりとなったのでした。
「ミノルタカメラ」のCMより。愛川欽也さんと研さん。
「カックラキン大放送」の「ナオコばぁちゃん」で人気を博す
その後も、研さんは、明るいキャラクターがバラエティ番組で人気を博し、1975年、23歳の時には、「カックラキン大放送」での「ナオコばぁちゃん」のキャラクターで、大人気となっているのですが、
一方、歌手の方では、
1973年10月「うわさの男」
1974年6月「第三の女」
「うわさの男」
「第三の女」
と、シングルをリリースするも、売上はパッとしなかったのでした。
(ちなみに、この「ナオコばぁちゃん」、研さんがデビューした当初、全国のキャバレー巡りをし、東京に戻ってやっと風呂に入る、という生活を送っていた頃、風呂つきの部屋を借りることができなかったため、朝一番で銭湯に通っていたそうですが、その時の銭湯のおばあちゃんたちの行動から学んだもので、後に研さんは、この時のおばあちゃんたちとの交流が役に立ったと語っています。)
「研ナオコは若い頃「愚図」「あばよ」が大ヒットしていた!」に続く
「カックラキン大放送」より。