日本で初めて、アーティストがレコード会社を持つということに成功した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、当初は、音楽業界から圧力をかけられ、どうにもならなくなっていたそうで、そんな中、強力な助っ人の助けにより、実現していたといいます。
「吉田拓郎は小室等と泉谷しげると井上陽水でレコード会社を設立していた!」からの続き
音楽業界から圧力をかけられていた
1975年4月、吉田さん、小室等さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん、後藤由多加さんが集結し、設立された、日本初のアーティスト主導のレコード会社「フォーライフ・レコード」ですが、設立までの道のりは一筋縄には行かなかったといいます。
というのも、日本の音楽業界は、戦後からレコード会社主導で発展してきており、アーティストがレコード会社を持つということは、曲の制作から広報、営業まで強い権限を持つということで、これまでの組織型の業界のシステムを根本から覆してしまうことを意味しており、
日本レコード協会が、「フォーライフ・レコード」の販売を引き受けないことを申し合わし、各レコード会社に、プレスも販売も認めないよう、圧力をかけてきたというのです。
(実際のところ、各レコード会社は、大きな売上が予想される「フォーライフ・レコード」のプレスや販売を手掛けたいのが本音だったようですが)
「ポニー」「キャニオンレコード」の石田達郎社長が救いの手を差し伸べてくれていた
この状況に、吉田さんたちは、にっちもさっちもいかなくなり、やむを得ず、人件費が安い韓国でのプレスや、通信販売を検討したそうですが・・・
そんな中、「ポニー」及び「キャニオンレコード」(現・ポニーキャニオン)の石田達郎社長が救いの手を差しのべてくれたそうで、
プレス・販売元を「キャニオンレコード」が、販売委託を「ポニー」が受け持ってくれることになり、新レコード会社「フォーライフ・レコード」は、社員わずか30名ながら、小室さんを社長にスタートを切ることができたのだそうです。
初の野外でのオールナイトイベント「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を成功させる
そんな「フォーライフ・レコード」は、メジャーにはない新しいことを追求しようと、早速、1975年8月2日には、8月3日まで日付をまたぐオールナイトで、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を、静岡県掛川市のつま恋で開催すると、
(「かぐや姫」は、このコンサートの4ヶ月前に解散していたのですが、このイベントのために再結成したそうです)
それまでに前例のない常識を覆すイベントだったにもかかわらず、大きなトラブルもなく、野外で5万人もの観客を集める大成功。
このコンサートは、現在も語り継がれる、日本の音楽史を塗り替える伝説のイベントとなったのでした。
ちなみに、吉田さんは、当時29歳だったのですが、体力を振り絞り、一晩で59曲も歌ったそうで、吉田さんのこのコンサートに懸ける凄まじいまでの情熱が伺えます。
(学生運動が盛んだった頃、何度もライブ中に「帰れコール」を浴び、物を投げつけられた経験を持つ吉田さんは、政治・思想・理想・理念を叫ぶためではなく、純粋に音楽を楽しむために開催したこのイベントを、どうしても成功させたかったそうです)
「吉田拓郎はフォーライフレコードの社長に就任していた!」に続く
「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」での吉田さん。