各務原まで沖縄の民謡が伝わって歌われるようになったことから、沖縄にいたパイロットたちが各務原に来たこと、すなわち、沖縄に米軍が上陸してきたことを知り、敗戦を覚悟した、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、「玉音放送」を聞くと、切腹するつもりだったといいます。そして、昭和天皇の「人間宣言」に大きなショックを受けたといいます。
「篠田正浩の少年時代はいつでも切腹(死ぬ)の覚悟が出来ていた!」からの続き
玉音放送で敗戦を知る
いつしか、軍歌ではなく、沖縄の民謡「安里屋(あさとや)ユンタ」が歌われるようになり、はっきり敗戦を悟ったという篠田さんですが、
1945年8月15日正午、先生の命令で、飛行場から離れたところにある物資の輸送をしているバラックに行くと、ラジオから流れる天皇の声を聴いたそうで(玉音放送)、
篠田さんには、天皇が何を言っているのかほとんど分からなかったそうですが、
堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ
という、たった一つのフレーズで、ついに、日本が負け、戦争が終わったのだと分かったそうです。
玉音放送を聞き切腹するつもりだった
そこで、クラスのボスだった篠田さんは、ラジオの前で整列し、みんなに、
どうも負けた。これから切腹しよう
と、言ったそうですが、
(これは、会津藩が滅亡する時、「白虎隊」の少年たちが切腹したのをお手本にしたそうです)
周りを見渡すと、配属将校も先生も見当たらず、
少しして、クラス一番の不良が、
篠田、腹切るよりも、腹が減っているぜ
と、言い、その瞬間、みんなが目の前に広がる芋畑の方を見たそうです。
すると、ちょうどそこへトラックがやって来て、
この書類を燃やせ
と、篠田さんたちの目の前で山積みの秘密書類に火をつけたことから、
それが燃え始めると、お腹が空いている仲間たちは一斉に畑に向かって走り出し、これまで絶対に盗まなかった芋を盗み、秘密書類の燃え盛る火の中に入れ、焼き芋にしたそうで、
篠田さんは、涙が出るのを抑えることができなかったそうです。(それは、煙のせいなのか、敗戦のせいなのかは区別がつかなかったそうですが)
昭和天皇の「人間宣言」に本気でショックを受けていた
そして、さらに、翌年の1946年正月には、裕仁天皇(昭和天皇)が「人間宣言」をするのですが、天皇が神様だと本当に信じていた篠田さんは、裏切られた気がして、本当に腹が立ったといいます。
(とはいえ、天皇が神様だと信じるか信じないかは、かなり個人差があったそうで、本音では天皇が神様と信じていない人が大半だったそうです)
ただ、歴史の先生が、「これまで間違ったことを教えて申し訳ない」と頭を下げたことから、篠田さんは許すことができたのだそうです。
(その後、授業はすぐに西洋史に切り替わったそうです)
「篠田正浩は少年時代「敗戦原因は米国人との体格差」と陸上に没頭していた!」に続く