終戦後は、敗戦の原因がアメリカ人との体格差だと感じ、まずは体を鍛えるべく陸上競技に打ち込んだという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、その一方で、幼い頃から、映画に慣れ親しんでいたといいます。
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幼い頃から映像に慣れ親しんでいた
篠田さんが幼い頃、篠田さんのお父さんは、辺境の村に行き、そこに電気を通すための水力発電所を設置するダムを造っていたそうですが、その際、16ミリのカメラで景色を写すため、家にはムービーカメラも映写機もあったそうで、篠田さんは、幼い頃から、映像に慣れ親しんでいたそうです。
(ちなみに、その映写機はイーストマン・コダック(Eastman Kodak)製だったそうですが、篠田さんが初めて覚えた英語が、このイーストマン・コダック(Eastman Kodak)だったそうです)
初めて観た映画はディズニーの短編アニメーション
実は、このイーストマン・コダックの映写機には、ディズニーの短編アニメーションが付録としてついていたそうで、篠田さんたち兄弟は、それを観たくていつも映写会をしていたのだそうです。
ただ、当然ながら、ディズニーの前には、本来の目的である、お父さんが撮ってきたドキュメントがくっついており、まず、それを観なければならないことが嫌で嫌でたまらなかったそうです(笑)
幼い頃から映画がコマで動くことを知っていた
さておき、こうして、幼い頃から、自分の手でフィルムに触れ、映画がコマで動くということも知っていたという篠田さんですが、
映画は10数秒間のアニメーションの映像でしかなく、この頃の篠田さんにとっては、まだ、映画の中に自分のアイデンティティーやイデオロギーを見つける動機はなかったそうです。
記録映画「民族の祭典」を観て衝撃を受ける
しかし、その後、小学3年生の時(1940年頃)に、レニ・リーフェンシュタール監督のべルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」(1936)を観ると、衝撃を受けたといいます。
というのも、それまで、西洋というのは、レコードから流れるベートーヴェンの「運命」やピアノの音色が西洋だと思っていたものが、この「民族の祭典」では、東洋とは違う、圧倒的な西洋思想が映像化されていたのだそうです。
(このベルリンオリンピックは、当時のドイツの指導者アドルフ・ヒトラーとナチス党が、白人種(ゲルマン民族)の優越性を証明することを望んだ大会だったそうですが、実際には、ジェシー・オーエンスという黒人の陸上選手が、男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝して4冠を達成したそうで、篠田さんは、ヒトラーの目の前で黒人選手が駆け抜けていくシーンを観て、これこそが映画の力だと思ったそうで、篠田さんが陸上競技に目覚める大きなきっかけにもなったそうです)
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