若い頃には、映画会社の伝統にとらわれない自由奔放な独自のスタイルの作品を次々と発表し、“松竹ヌーベルバーグの旗手”と呼ばれるなど注目を集めると、その後は、エンターテイメント性に富む作品も数多く手掛けた、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょう。今回は、そんな篠田さんのプライベートをご紹介します。
「篠田正浩監督のデビューからの監督映画を画像で!」からの続き
最初の妻は詩人の白石かずこ
篠田さんは、いつ頃かは不明ですが、詩人の白石かずこさんと結婚していたようです。
また、いつ頃かは不明ですが、離婚しています。
(以来、白石さんは現在に至るまで独身です)
現在(2人目)の妻・岩下志麻との馴れ初めは?
その後、篠田さんは、1966年3月3日、35歳の時に、女優の岩下志麻さん(当時25歳)と再婚しているのですが、
岩下さんと初めて知り合ったのは、1960年、映画「乾いた湖」のヒロインオーディションの時だったそうです。(岩下さんは当時19歳)
「乾いた湖」出演時の岩下志麻さん。
寺山修司と意気投合して岩下志麻をヒロインに決定していた
ちなみに、脚本は急いで書かなければならない、キャストは決めなければならないと、大忙しの中、「松竹」からは、新人のヒロインはオーディションをするように言われていたことから、篠田さんは、神楽坂の宿屋で、脚本担当の寺山修司さんと一緒に面接を行い、入れ替わり立ち替わり、候補者に来てもらったそうですが、
そんな中、岩下さんが来て、
寺山さんが、
あなたはどんな小説が好きですか
と、質問すると、
岩下さんは、
堀辰雄の「風立ちぬ」です
と、答えたそうで、
それを聞いた篠田さんと寺山さんは二人してニンマリと笑い、
お嬢さんだねえ
と、言って、岩下さんに決定したのだそうです。
岩下志麻は篠田正浩との初対面で若さと派手さに驚いていた
一方、岩下さんによると、面接のため、神楽坂の宿屋に呼ばれ、初めて篠田さんに会った時、篠田さんは、なんと、ショッキングピンクのショートパンツに金色のペンダントという派手な格好をしていたそうで、
こんなに若い監督さんもいるんだ!
と、びっくりしたそうです(笑)
当初から岩下志麻と交際していた訳ではなかった
さておき、篠田さんは、その後も、
1961年「夕陽に赤い俺の顔」
「わが恋の旅路」
1962年「山の讃歌 燃ゆる若者たち」
「わが恋の旅路」出演時の岩下志麻さん。
と、自身の作品に岩下さんを起用し続けているのですが(「わが恋の旅路」では主演に抜擢)、この頃は、プライベートなつき合いは一切なかったそうです。
岩下志麻とは映画「暗殺」の撮影中に初めて二人で食事
そんな中、1964年、京都の撮影所で「暗殺」の撮影中、夜の時間が空いたそうですが、大船撮影所から京都に来ていたのは、篠田さんと岩下さんとカメラマンの小杉正雄さんの3人しかおらず、小杉さんは一滴もお酒が飲めなかったそうで、
撮影が終わった後、岩下さんがぼんやりしていたことから、篠田さんが、
京都の飲み屋というのはなかなか趣があって面白いですよ
と、司馬遼太郎さん(「暗殺」の原作者)が案内してくれた先斗町(ぽんとちょう)のお店に誘い、この時、初めて二人で食事に行ったのだそうです。
ちなみに、その際には、二人でお酒を2升(2合とっくり10本)も飲んだそうですが、二人とも、緊張のため、全く酔わなかったそうです。
(篠田さんによると、少しでも情が移ると仕事で強いことが言えなくなってしまうほか、スタジオの外で会っていると新鮮さが消えるため、それまでは仕事以外で俳優と付き合ったことがなかったそうで、俳優と飲みに行くこと自体、この時が初めてだったそうです)
結婚式後の記者会見を終えくつろぐ岩下志麻さんと篠田さん(1967年03月03日)