1966年当時、日本映画産業全体が斜陽化してきたことで、女優である岩下志麻さんの将来を心配し、結婚を考えたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、結婚後も岩下さんの女優業を全面的にサポートし続けたといいます。
「篠田正浩は岩下志麻の将来を心配して結婚していた!」からの続き
妻・岩下志麻の女優業をサポートし続けていた
1966年、「松竹」が猛反対する中、女優の岩下志麻さんと結婚した篠田さんですが、
岩下さんによると、
結婚で、女優としてプラスαの魅力をつけてほしい
「女優・岩下志麻」を奥さんにもらったのだから、君は家事・育児を一切やらなくていい
家庭は休息の場でなくてはいけない。たくさん休息して現場には元気で行ってほしい
と、結婚後も女優業に専念できるよう、家事のすべてを住み込みのハウスキーパーに任せるなど、家庭の環境を整えてくれたそうです。
また、岩下さんは、一時期、自信を喪失し、女優を辞めようかと悩んでいた時があったそうですが、
そんな時も、篠田さんは、
おまえは女優をやっているときが一番輝いている
と、励まし続けてくれたのだそうです。
一方、篠田さんはというと、そんな岩下さんのことを、
岩下志麻にはほとんど生活感がなくて、箸の持ち方さえおぼつかない。
と、語っており、岩下さんがいかに女優業だけに専念していたかが分かります。
おしどり夫婦
そんな篠田さんと岩下さんは、2008年には、長野県安曇野市の「安曇野にふさわしい理想の夫婦」に選ばれ、
岩下さんが、
私は「ど」が付くぐらいのノンビリ屋さんで、夫は「ど」せっかち。でも、段々「ど」の部分が取れてきて、距離が近づいたかも知れないですね。
と、語っているのですが、
続けて記者から美の秘訣について質問されると、岩下さんは、
夫が良いからじゃないかしら。割と自由にのんびりやらせてもらえますから。
と、語りつつ、篠田さんと顔を見合わせるなど、仲睦まじい様子を見せています♪
(左から)平林伊三郎安曇野市長、岩下志麻さん、篠田さん。
互いに尊敬し合える関係
また、お二人は、1967年に映画製作会社「表現社」を設立しており、2017年には、その50周年を記念したイベントを開催しているのですが、
そのトークショーでは、
篠田さんが、
僕は映画監督としてラッキーだと思うのは岩下志麻と出会えたこと。その一言です。映画という魔物にとりつかれて2人で魔物退治をやっていたようなもの
と、語ると、
岩下さんも、
すごいことを言われて涙が出そうになりました
と、感激して、
私も篠田と出会ったことで、いろいろな作品で、いろんな役を演じることができました。本当に今の私があるのは篠田のおかげだと思っています
と、語っており、
互いに尊敬し合える素晴らしい関係を築いているようです。
子供は娘が一人
そんな篠田さんと岩下さんとの間には、1973年に女の子が一人誕生しているのですが、娘さんは一般人で、芸能界を一度も視野に入れたことがないといいます。
というのも、岩下さんによると、娘さんが2~3歳の頃、自宅の近所でCMの撮影をしたそうですが、その際、近所に住んでいた岩下さんのお父さんが娘さんを抱いて見学しに来ると、娘さんは、岩下さんを見るなり、火がついたように泣き出したそうで、
(着物姿でお化粧ばっちりな姿が、家にいる時の母親の姿と違い、怖かったのではとのこと)
そのことがトラウマになってしまったのか、それ以来、娘さんは全く撮影現場に来ることはなく、岩下さんも自分の出演作品は1本も見せなかったのだそうです。
娘は篠田正浩が厳しく躾けていた
ちなみに、岩下さんは、娘さんの運動会や学芸会、授業参観などの学校行事には全て参加したそうですが、娘さんには、うれしいような、恥ずかしいような、複雑な気分だったとか。
そんなことから、娘さんは、いかに両親と離れた道を歩むかを、早くから考えていたそうで、中学受験までは、両親である篠田さんと岩下さんが塾を探したり、家庭教師の先生を探したりしたそうですが、その後は、娘さんは自立し、自分のことは自分で決めていったそうで、
大学の卒業旅行も、
友達は地方から出てきたりして、苦労して暮らしている。自分だけ親に甘えたら、みんなに申し訳ない
と言って、花屋でアルバイトをして貯めたお金で行ったのだそうです。
また、岩下さんによると、自身は、ただただ、甘やかし、「愛している」と伝え続けていたそうですが、篠田さんが、礼儀を含め、とても厳しく娘さんを躾(しつ)けてくれたそうで、娘さんが自立し、しっかりした大人に育ったのは、篠田さんの教育の賜物だとのことでした。
「篠田正浩の現在は自宅療養中!妻・岩下志麻が老老介護していた!」に続く
篠田正浩&岩下志麻夫妻と赤ちゃんの頃の娘さん。