歌番組「夜のヒットスタジオ」では、セルフコーディネートした個性的な衣装をはじめとする独特の司会スタイルで、番組の人気に貢献した、芳村真理(よしむら まり)さんですが、特に、1976年から1985年までの約9年半は、共に司会を担当した井上順さんとの絶妙なコンビネーションで番組の黄金時代を築きました。
「芳村真理の歌番組「夜ヒット」での衣装が凄すぎる!」からの続き
井上順と絶妙なコンビで「夜ヒット」の黄金時代を築く
歌番組「夜のヒットスタジオ」では、前田武彦さん、三波伸介さん、井上順さん、古舘伊知郎さんと、4人の男性司会者とコンビを組んでいる芳村さんですが、特に、1976年4月から男性司会者に起用された井上順さんとのコンビでは、
井上さんがゲストよりも派手なファッションで登場した芳村さんを茶化し、芳村さんもまた、そんな井上さんを、
もぉ~順ちゃんたらぁ
と、笑いながらあしらうのが、番組のお約束で、「年上の姉(芳村さん)に、ちょっかいを出す弟(井上さん)」というスタイルで番組が進行するほか、
(芳村さんは、井上さんよりも一回り(12歳)年上)
井上さんが、芳村さんへの茶化し以外にも、オヤジギャグの連発や、奇妙なアクションをするのに対し、芳村さんは、そんな井上さんの暴走を止めたり、ある時にはサラリと受け流したりして、番組の進行を本筋に戻していくといった、息のあった絶妙なコンビネーションで、番組の黄金時代を築きました。
新体制が発足するも・・・
また、当時、業界内では、「夜のヒットスタジオ」の現場は、本番はもちろん、リハーサルでも、スタッフがスタジオを走り回り、スタッフや出演者に対して罵声や鉄拳が飛び交うという、殺伐(さつばつ)とした雰囲気で有名で、
そんな中でも、芳村さんと井上さんは、そんな雰囲気を微塵(みじん)も感じさせず、軽妙かつスマートな司会で番組を盛り上げ、長らく番組の人気に貢献していたのですが・・・
やがては、歌と司会者のトークを中心に番組が進行していくというシンプルなスタイルが飽きられ始め、1985年春には新体制が発足。
これまで15年以上も月曜22時枠だった放送が、水曜21時からの「夜のヒットスタジオデラックス」(2時間放送)に変更されます。
井上順が「夜のヒットスタジオ」を降板
そして、新体制発足から、わずか約半年後の1985年9月には、
井上さんが、
一つのものだけを長くやっているのは、逆に自分の可能性を縮めているのではないか
との理由で、降板。
芳村さんは、井上さんの最終日のエンディングでは、去っていく井上さんを惜しみ、人目もはばからず号泣し、番組進行どころではなくなったのですが、
「夜のヒットスタジオデラックス」より。井上順さんと芳村さん。
芳村さんによると、
年の離れた弟が親元を離れて自分の所帯を持つようになった
という感覚で、井上さんを番組から送り出したそうで、
井上さんもまた、後に、芳村さんについて、
これまで一緒に仕事をしてきた人の中で一番許容できる幅が広い人。分け隔てなく手を差し伸べるところが凄かった。大切な10年間をありがとう
と、語っており、二人は、強い絆で結ばれていたのでした。
井上順と共演NGの噂は本当か?
ただ、井上さんが「夜のヒットスタジオ」を降板して以降、芳村さんと井上さんは、共演の機会が一度もなかったことから、やがては、「共演NG」の噂が。
それでも、2017年には、バラエティ番組「爆報!THEフライデー」で、約30年ぶりに再会を果たした二人は、熱いハグを交わし、そんな噂を吹き飛ばしており、
長い間、共演がなかった理由については、
井上さんが、
ボクね、今、難聴なんですよ。これ(補聴器)を入れないと生活できないんですよ
と、「感音性難聴」だったことを告白。
本来、井上さんは、バラエティ番組が大好きだそうですが、音が遅れて聴こえたり、誰がしゃべっているのか分からない現状で、出演者が多いバラエティ番組は無理だと判断し、出演を避けるようになっていたのだそうです。
「芳村真理の「夜ヒット」降板理由は?光GENJIがきっかけだった!」に続く
「爆報!THEフライデー」で熱いハグを交わす芳村さんと井上順さん。