「日本プロレス」を追放された豊登道春さんの誘いに乗り、「日本プロレス」を辞めて「東京プロレス」に参加するも、「東京プロレス」がわずか3ヶ月で崩壊してしまった、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、「日本プロレス」から声がかかり、「日本プロレス」に復帰すると、ジャイアント馬場さんとの「BI砲」で大人気となります。
「アントニオ猪木は昔「東京プロレス」に入っていた!」からの続き
「日本プロレス」復帰
「東京プロレス」を巡る一連の出来事で、ピンチに陥っていた猪木さんですが、なんと、古巣の「日本プロレス」から声をかけられ、「日本プロレス」に戻ることになります。
というのも、猪木さんが豊登道春さんに誘われて「東京プロレス」に参加した際、
豊登さんが「除名処分」となったのに対し、まだ若かった猪木さんは、どうせ豊登さんに騙されているにちがいないと考えられていたことや、猪木さんの将来性に対する期待から、「処分保留」という寛大な措置が取られていたのでした。
ジャイアント馬場と「BI砲」で大人気になるも・・・
また、この頃のプロレス界は、「日本プロレス」と「国際プロレス」の2団体が対立する時代に入ろうとしていた時期でもあったため、
「日本プロレス」としては、猪木さんがライバルの「国際プロレス」に参加することを恐れ、「日本プロレス」に復帰させたのでした。
結果、これは功を奏し、猪木さんが「日本プロレス」に復帰すると、ジャイアント馬場さんとのタッグチーム「BI砲」が大活躍し、看板チームとして大人気に。
猪木さん個人も、ジャイアント馬場さんに次ぐ、好待遇を受けたのですが・・・
当時の猪木さん(左)とジャイアント馬場さん(右)。
「日本プロレス」を追放される
それでも、当時の「日本プロレス」は、一部のフロントが会社を食い物にして、乱脈経営をしており、そのことに不満を抱いていた猪木さんは、ジャイアント馬場さんやほかの選手とともに、理想のプロレスを目指し、それを実現できる環境を作ろうと、一部のフロントの退陣を要求。また、選手も、名目だけでなく、実質的にフロントに参加しようと密かに画策します。
しかし、この計画は、上田馬之助さんが、
猪木が日本プロレスを乗っ取ろうとしている
と、幹部に密告したことで会社に漏れ、
猪木さんは首謀者として除名処分にされてしまったのでした。
「アントニオ猪木は昔モハメドアリと異種格闘技戦をしていた!」に続く
当時のジャイアント馬場さん(左)と猪木さん(右)。