印刷会社を経営するお父さんとその愛人だったお母さんのもと、東京・巣鴨に一人っ子として誕生した、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、お母さんが年をとってから産んだ子供だったことから、特にお母さんには溺愛されて育ったといいます。

「愛川欽也は父親の愛人の子供だった!」からの続き

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母親に溺愛されて育った

離婚後、身寄りのなかったお母さんが、東京・神田のミルクホールで働いていた時、印刷会社を営む(妻子のある)お父さんに見初められ、やがて、お父さんがお母さんの家に足繁く通うようになり、誕生した愛川さんですが、

お母さんは、年をとってから産んだ子供だったことから、愛川さんが赤ちゃんの時には、片時も離れず、昼も夜も自分の目の届くところに置こうと、愛川さんの寝ている布団を部屋のあちこちに移動させるほどだったそうです。

(愛川さんによると、お母さんには一度も怒られたことがなかったそうです)

幼少期から優秀だった

そんな愛川さんは、言葉をしゃべるのが周りの子供よりもずっと早く、誰にも教わっていないのに字を覚えるのも早かったそうで、国民学校に上がる頃には、ひらがな、カタカナはもちろん、漢字もかなり読めるようになっていたそうです。

また、お母さんから、「自分より弱いものをいじめないこと」「女の子は可愛がる(やさしくする)こと」と教えられると、この2つの言いつけをちゃんと守ったそうです。

幼い頃から自分の意志を持って行動していた

ただ、物心ついた時から自分の意志を強く持っていたそうで、近所の男の子たちが夢中になって遊んでいたベーゴマ、メンコ、ビー玉遊びにはまるで興味を示さず、

男の子たちがメンコを自慢気に束にして持っていたり、空き箱の中にビー玉やベーゴマをたくさん集めて遊んでいても、愛川さんはメンコを1枚も持たなかったそうです。

8歳の時から喫茶店通いをしていた

また、8歳の時にはすでに、国民学校の帰りに、巣鴨駅のそばにある喫茶店に寄って、コーヒーを飲むことが楽しみだったそうで、

(若いママは、「おかえりなさい」と迎えてくれたそうです)

店の隅のテーブルに座ってコーヒーを注文し、大人のように足を組み、テーブルに置いてある新聞を持って、読めるところだけ読んでいたそうですが、

(ほかのお客さんは、そんな愛川さんを面白そうに見ていたそうです)

コーヒーの香りと味は特別だったそうで、他の子供ができないことをしている自分がとても誇らしかったのだそうです。

(しかも、ツケで飲んでいたそうで、お母さんが後からお金を払いに来ていたそうです)

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父親が家に来る回数は徐々に減っていた

こうして、優しいお母さんのもと、何不自由なくぬくぬくと育ったという愛川さんですが、一方、お父さんはというと、いつも、夜中に来ては朝方に帰っていたそうですが、

ある日の夜中、お父さんが、愛川さんの好きなシュークリームを買って巣鴨の家にやって来て、寝ていたところを叩き起こされ、甘いシュークリームをいくつも食べさせられたことがあったそうですが、

(お母さんは、この時、酒の肴(さかな)を台所で作っており、この出来事を知らなかったそうです)

翌朝、愛川さんが腹痛を起こしたそうで、お母さんに背負われて病院に行くと、「大腸カタル」と診断され、

お母さんが、

この子を死なそうというんですか

と、すごい剣幕でお父さんに怒ったことから、

(お母さんは、愛川さんを生んだ後、お父さんにはっきりものを言うようになっていたそうです)

お父さんは、徐々に来る回数が減っていったそうで、お父さんとは、抱きついたりするなど十分な触れ合いがなかったそうです。

とはいえ、お母さんに十分甘えることができたため、寂しいと思ったことは一度もなかったそうです。

(また、お母さんは、お父さんからもらったお金を節約し、愛川さんのためにせっせと貯金してくれていたそうです)

「愛川欽也が学童疎開中は空腹に耐えかねていた!」に続く

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