1955年、SFホラー映画「半魚人の逆襲」で映画デビューして以来、60年以上も第一線で活躍し続けている、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さん。

そんなクリント・イーストウッドさんは、幼い頃は、裕福で文化的な家庭に生まれ育ち、高校時代は、音楽やスポーツが得意な少年だったそうですが、

勉強の方の成績はあまり良くなく、工業高校に転校を余儀なくされると、高校中退後は、職を転々とした後、21歳の時には、アメリカ陸軍に召集され、そこで知り合った人にハリウッドを紹介してもらい、映画に出演するようになったといいます。

今回は、そんなクリント・イーストウッドさんの生い立ち(幼少期から映画デビューまで)をご紹介します。

クリント・イーストウッド

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クリント・イーストウッドのプロフィール

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんは、
1930年5月31日生まれ、
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコの出身、

身長193センチ、

学歴は、
ピエモンテ中学校
⇒ピエモンテ高校⇒転校
⇒オークランド・テクニカル・ハイスクール中退?
⇒ロサンゼルス・シティー・カレッジ(ロサンゼルス市立短期大学)卒業

趣味は、テニスとゴルフ、

特技は、水泳とピアノ、

ちなみに、本名は、クリントン・イーストウッド・ジュニア(Clinton Eastwood Jr.)で、先祖には、メイフラワー号の乗員で、マサチューセッツ州プリマスを統治し、後に、プリマス植民地の知事になったウィリアム・ブラッドフォードがいるそうです。

クリント・イーストウッドは生まれた時から大きな赤ん坊だった

クリント・イーストウッドさんは、イングランド系のお父さん、クリントン・イーストウッド・シニアさんと、アイルランド系のお母さん、マーガレット・ルースさんの間に、2人兄妹の長男として、 サンフランシスコ記念病院で誕生したそうですが、

体重が5.16キロもある大きな赤ちゃんだったため、看護師たちから、「サムソン」(旧約聖書に登場する怪力の持ち主)と呼ばれていたそうです。

クリント・イーストウッドの幼い頃は父親の仕事の関係で北カリフォルニアを転々としていた

そんなクリント・イーストウッドさんは、幼い頃は、お父さんの仕事の関係で、北カリフォルニア州を転々としたそうですが、

その頃は、ちょうど、「世界恐慌」(深刻な経済恐慌)の真っ只中にあったにもかかわらず、両親が(自分たちは飢えていても)クリント・イーストウッドさんと妹にはちゃんと食べさせてくれたことから、ひもじい思いをすることはなく、暮らすことができたそうで、ずっと後になって、両親がいかに苦労したかを知ったそうです。

クリント・イーストウッドは10歳の時に裕福なコミュニティ・ピードモント(ピエモンテ)に定住していた

そして、1948年、10歳の時には、「世界恐慌」も明け、オークランドの隣にある、裕福なコミュニティ、ピードモント(ピエモンテ)に定住したそうで、成人して家を出ていくまで、この地で暮らしたそうです。

クリント・イーストウッドは15歳の時にピアノを弾くアルバイトを始めていた

そんなクリント・イーストウッドさんは、少年時代は、(当時はまだテレビがなかったことから)映画で西部劇を観るのが大好きだったそうです。

また、クリント・イーストウッドさんは、ジャズが好きだったお母さんの影響により、少年時代からジャズに親しむと、15歳の時には、オークランドのクラブで、ラグタイムやブルースをピアノで弾くアルバイトを始めたそうです。

クリント・イーストウッドは高校時代はバスケットボールの選手として活躍するも勉強はできなかった

裕福で文化的な環境の中、すくすくと育ったクリント・イーストウッドさんは、高校進学後は、音楽のほか、バスケットボールの選手としても活躍したそうですが、

一方、勉強の方の成績は悪く、「オークランド・テクニカル・ハイスクール」(オークランド工業高校)に転校を余儀なくされると、自動車整備士のコースを受講し、自動車と航空機のエンジンの組み立てや、航空機のメンテナンスについて、学んだそうです。

クリント・イーストウッドは高校中退後は様々な職を転々としていた

しかし、クリント・イーストウッドさんは、ほどなくして、転校先の「オークランド・テクニカル・ハイスクール」も中退すると、その後は、地元のクラブでピアノの弾き語りのアルバイトをするほか、様々な職業を転々としたそうです。

クリント・イーストウッドは21歳の時にアメリカ陸軍に召集されるとライフガードとして勤務していた

クリント・イーストウッドさんは、1951年、21歳の時には、アメリカ陸軍に召集されて、モンテレー半島にあるフォート・オード基地に派遣されると、訓練時のライフガードとして勤務するほか、ハリウッドの関係者を集めた特殊部隊に水泳を教えていたそうです。

ちなみに、クリント・イーストウッドさんは、この年、実家のあるシアトルから勤務先のフォート・オード基地まで戻るため、軍用機にパイロットと相乗りしたところ、離陸後にトラブルが発生し、飛行機は海に墜落。

しかし、クリント・イーストウッドさんは自力で泳いで無事、生還することができたのだそうです。

クリント・イーストウッドは23歳の時に映画にエキストラとして出演するようになっていた

クリント・イーストウッドさんは、1952年春、22歳の時には、フォート・オード基地を離れて、シアトルに戻ると、その後、ロサンゼルスに移り住み、1953年12月、23歳の時には、秘書のマーガレット・ネヴィル・ジョンソンさんと結婚しています。

結婚後、クリント・イーストウッドさんは、住宅用プールの土台を掘る仕事をしながら、映画にエキストラとして出演するのですが、フォート・オード基地時代に知り合ったチャック・ヒルさんという人が、ハリウッドを紹介してくれたことで、映画に出演するようになったのだそうです。

そして、ロサンゼルス・シティー・カレッジ(ロサンゼルス市立短期大学)へ入学し、夜間の演劇クラス(シアター学部)に通い始めたそうですが、当初はそれほどパッとしない生徒だったそうで、クリント・イーストウッドさん自身も、それほど演じることに情熱を感じなかったといいます。

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クリント・イーストウッドは25歳の時に映画「半魚人の逆襲」の端役で映画デビュー

そんなクリント・イーストウッドさんですが、1955年、25歳の時には、ジャック・アーノルド監督の映画「半魚人の逆襲」の研究員ジェニングスという端役で、映画デビューを果たしています。

「【画像】クリント・イーストウッドの若い頃が凄い!現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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