1955年、25歳の時、映画「半魚人の逆襲」の端役で俳優デビューすると、その後、映画「荒野の用心棒」でブレイクを果たし、以降、「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」「ダーティハリー」シリーズなどが大ヒットして世界的スターの地位を不動のものにした、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さん。

今回は、そんなクリント・イーストウッドさんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

クリント・イーストウッド

「クリント・イーストウッドの生い立ちは?高校時代は音楽とスポーツが得意だった!」からの続き

Sponsored Link

クリント・イーストウッドの20代の頃

25歳の時にユニバーサルと契約するも芽が出ず解雇されていた

クリント・イーストウッドさんは、1955年、25歳の時、ロサンゼルス・シティー・カレッジ(ロサンゼルス市立短期大学)の夜間の演劇クラス(シアター学部)に通いながら、エキストラとして映画に出演していたのですが、

そんな中、フォート・オード基地(兵役)時代に知り合い、親しくなった、チャック・ヒルさんと再会すると、演技の才能を見込まれて、カメラマンのアーヴィング・グラスバーグさんを紹介してもらったそうです。

すると、クリント・イーストウッドさんは、アーヴィング・グラスバーグさんに気に入られ、高給の仕事をもらえたうえ、映画監督のアーサー・ルービンさんを紹介してもらったそうで、

クリント・イーストウッドさんは、アーヴィング・グラスバーグさん同様、アーサー・ルービンさんにも気に入られると、アーヴィング・グラスバーグさんの紹介で、ユニバーサルと契約するのですが、なかなか芽が出ず、端役ばかりが続いたそうで、

1955年10月には、ディレクターのロバート・パーマーさんにより、芽が出ないまま、ユニバーサルを解雇されてしまいます。

(クリント・イーストウッドさんは、この頃、アーサー・ルービン監督からのオファーで生計を立てていたそうです)

29歳の時に西部劇ドラマ「ローハイド」で脚光を浴びていた

こうして、なかなか俳優として芽が出なかったクリント・イーストウッドさんですが、1959年、29歳の時には、西部劇ドラマ「ローハイド」で準主役ロディ・イエーツ役に起用されると、「ローハイド」は、大ヒットを記録。

クリント・イーストウッドさんも、一躍、脚光を浴びます。

「ローハイド」に出演するクリント・イーストウッド
「ローハイド」より。クリント・イーストウッドさん(左)とエリック・フレミングさん(右)。

クリント・イーストウッドの30代の頃

34歳の時に映画「荒野の用心棒」でブレイク

さらに、クリント・イーストウッドさんは、1964年、34歳の時には、映画「荒野の用心棒」で正体不明の流れ者の雇われ用心棒「名無しの男」をクールに演じると、たちまちブレイクを果たします。

「荒野の用心棒」に出演するクリント・イーストウッド
「荒野の用心棒」より。

実は、クリント・イーストウッドさんは、次第に、西部劇ドラマ「ローハイド」の脚本がマンネリ化したことで飽き始め、そろそろ休憩が欲しいと思っていた1963年後半、33歳の時、思いがけず、イタリアから西部劇「The Magnificent Stranger」(「荒野の用心棒」の前段階の題名)の出演依頼が舞い込んだそうで、

当初は気が進まなかったものの、「The Magnificent Stranger」の脚本を10ページほど読むと、物語が黒澤明監督の映画「用心棒」をモデルにしていることに気づき、出演を決めたのだそうです。


35歳の時に主演映画「夕陽のガンマン」が大ヒットを記録

そして、翌年の1965年12月、35歳の時には、映画「夕陽のガンマン」で、賞金稼ぎのガンマンを演じると、「荒野の用心棒」を上回る大ヒットを記録します。

「夕陽のガンマン」に出演するクリント・イーストウッド
「夕陽のガンマン」より。

36歳の時に映画「続・夕陽のガンマン」も大ヒットを記録

さらには、その翌年の1966年12月(36歳の時)に公開された「続・夕陽のガンマン」も、前作には及ばなかったものの、またしても大ヒットを記録し、クリント・イーストウッドさんは、たちまち、ヨーロッパとアジアを中心に人気を博したのでした。

「続・夕陽のガンマン」に出演するクリント・イーストウッド
「続・夕陽のガンマン」より。

37歳の時に「マカロニ・ウエスタン3部作」がアメリカで大ヒットし世界的スターになっていた

こうして、クリント・イーストウッドさんは、「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」(マカロニ・ウエスタン3部作)で、「名無しの男」を演じ、ヨーロッパやアジアを中心に大ブレイクしたのですが、

アメリカでは、黒澤明監督の「用心棒」の盗作問題を巡る訴訟騒動で、公開が先延ばしにされ、クリント・イーストウッドさんのアメリカでの知名度は低いままでした。

しかし、1967年、37歳の時、「マカロニ・ウエスタン3部作」が立て続けにアメリカで公開されると、世界的な大ヒットを記録し、クリント・イーストウッドさんも、ついに文句なしの世界的大ブレイクを果たしたのでした。

クリント・イーストウッドの40代~50代の頃

41歳~58歳の時に映画「ダーティハリー」シリーズで世界的なブレイク

クリント・イーストウッドさんは1971年、41歳の時には、映画「ダーティハリー」で組織や法律が厳しくなっていく時代において、強引な捜査を行うアウトローでありながら、直情型で信念を貫徹するアンチヒーロー、ハリー・キャラハン刑事役を演じると、

この作品は、

  • 1973年(43歳)「ダーティハリー2」
  • 1976年(46歳)「ダーティハリー3」
  • 1983年(53歳)「ダーティハリー4」
  • 1988年(58歳)「ダーティハリー5」

と、シリーズ化される世界的な大ヒットとなり、

それまで、マカロニ・ウエスタンの俳優というイメージが強かったクリント・イーストウッドさんは、純粋なトップスターの地位を確立しています。

「ダーティハリー」より。
「ダーティハリー」より。

49歳の時の映画「アルカトラズからの脱出」を最後にドン・シーゲル監督との蜜月関係が終焉していた

ちなみに、クリント・イーストウッドさんは、「ダーティハリー」シリーズのドン・シーゲル監督とは、お互い尊敬し合う仲で、「ダーティ・ハリー」シリーズ以外にも、1969年、映画「真昼の死闘」、1971年には、サスペンス映画「白い肌の異常な夜」でタッグを組んでいます。

また、クリント・イーストウッドさんが初監督・主演を務めた「恐怖のメロディ」(1971)では、バーのマスター役としてドン・シーゲル監督が出演しているほか、お互いを「クリントス」「シゲリーニョ」と呼び合うなど、強い信頼と絆で結ばれていたそうですが、1979年、映画「アルカトラズからの脱出」でそんな蜜月関係も終焉したといわれています。

「アルカトラズからの脱出」に出演するクリント・イーストウッド
「アルカトラズからの脱出」より。

クリント・イーストウッドの60代の頃

62歳の時に監督・製作・主演を務めた西部劇映画「許されざる者」が世界的な大ヒット

俳優として世界的スターの地位を不動のものにしたクリント・イーストウッドさんは、1971年には、「恐怖のメロディ」で、監督デビューすると、以降、俳優業のかたわら、監督作品を立て続けに発表するのですが、

当初は、クリント・イーストウッドさんの持つアクションスターのイメージから、「マッチョイズム(強さやたくましさにこだわった男性優位主義)」「タカ派(戦争など武力を辞さない姿勢を持つ人または集団)」などとみなされ、作品は正当に評価されませんでした。

「許されざる者」に出演するクリント・イーストウッド
「許されざる者」より。

しかし、1992年、62歳の時に、監督・製作・主演を務めた西部劇映画「許されざる者」が世界的な大ヒットを記録すると、この年の「第65回アカデミー賞」にも9部門にノミネートされ、見事、「作品賞」「監督賞」「助演男優賞」「編集賞」の4部門を獲得。

ついに、クリント・イーストウッドさんは、映画監督としても高い評価を得て、巨匠の仲間入りを果たしたのでした。

クリント・イーストウッドの70代の頃

74歳の時に監督・主演を務めた映画「ミリオンダラー・ベイビー」で、2回目の「アカデミー賞」を受賞

そんなクリント・イーストウッドさんは、2004年、74歳の時にも、監督・主演を務めた映画「ミリオンダラー・ベイビー」で、2回目の「アカデミー賞」を受賞しています。

「ミリオンダラー・ベイビー」に出演するクリント・イーストウッド
「ミリオンダラー・ベイビー」より。ヒラリー・スワンクさんとクリント・イーストウッドさん。

Sponsored Link

クリント・イーストウッドの80代~90代(現在)

また、クリント・イーストウッドさんは、2018年、88歳の時には、監督・主演を務めた映画「運び屋」で、娘のアリソン・イーストウッドさんと親子共演し、映画の中でも、父娘役を演じています。

(アリソン・イーストウッドさんとは、1984年に、映画「タイトロープ」(アリソンさんの子役デビュー作)以来、実に34年ぶりの親子共演だったそうです)

「運び屋」に出演するクリント・イーストウッド
「運び屋」より。娘のアリソン・イーストウッドさんとクリント・イーストウッドさん。


そして、クリント・イーストウッドさんは、2021年、91歳の時にも、監督を務めた映画「クライ・マッチョ」に自ら出演すると、その後、2023年6月には、「Juror No.2(陪審員2番)」という新作映画の制作に取り掛かり、2024年5月31日(クリント・イーストウッドさんの94回目の誕生日)には、すでに撮影や編集を終え、公開を待つばかりの状態となっていることが報じられています。

ただ、この「Juror No.2(陪審員2番)」を最後に、クリント・イーストウッドさんは監督業を引退すると言われており、実際、2024年3月、公の場に姿を現したクリント・イーストウッドさんの衰弱した様子に、ファンからは心配の声が上がっています。

(髪やひげはボサボサで、やせ細り、登壇にもアシスタントの助けを借りなくてはならないほどだったそうです)

クリント・イーストウッド

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link