1958年、映画「やりくりアパート」でテレビドラマデビューすると、1959年には、テレビドラマ「頓馬天狗」で人気を博し、以降、60年以上も活動し続けている、大村崑(おおむら こん)さん。

そんな大村崑さんは、お芝居が好きだったお父さんの影響で、10代の頃から芸能界を目指し、多くの有名人が集まる神戸・三宮のキャバレー「新世紀」でボーイとして働き始めると、メガネをかけたボーイは珍しく、たちまち人気を博したそうで、

その後、司会業も任されるようになると、やがて、司会の面白さを知り、プロの司会者を目指して、人気司会者の大久保怜さんに弟子入りしたといいます。

今回は、大村崑さんの、生い立ち(幼少期)から「キャバレーでのボーイ」時代、司会業転向までご紹介します。

大村崑

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大村崑のプロフィールは?

大村崑さんは、1931年11月1日生まれ、
兵庫県神戸市長田区東尻池町の出身、

身長162センチ、

血液型はO型、

学歴は、
神戸市立第一機械工業学校(現・神戸市立科学技術高校)卒業

趣味・特技は、相撲観戦、日本舞踊、殺陣、眼鏡の収集だそうです。

大村崑が幼い頃は裕福な家庭で何不自由なく育てられていた

大村崑さんは、写真館を経営し、劇場のタニマチだったお父さんと、電気店を経営するお母さんのもと、新開地(現在の神戸市兵庫区…昭和初期は神戸随一の繁華街)の近くで、4人兄妹(弟1人、妹2人)の長男として誕生すると、裕福な家庭で何不自由なく育てられたそうです。

大村崑と妹
8歳の時の大村崑さんと妹さん。

大村崑は幼い頃から舞台に上がっていた

そんな大村崑さんは、幼い頃は、お父さんによく肩車されて新開地に連れて行ってもらったそうですが、お父さんは、自身がタニマチをしていた芝居小屋の楽屋に大村崑さんを預けると、そのままどこかへ消えてしまったそうです。

(※タニマチとは、後援者、無償スポンサーの隠語)

すると、一人取り残された大村崑さんを、劇団の人たちがかわいがってくれ、時々、白粉(おしろい)を塗られ、かつらをかぶらされて、舞台に上がらされたそうですが、お客さんからはおひねりやお菓子がもらえたそうで、幼稚園よりもずっと楽しかったそうです。

大村崑は小学生時代には教室で落語や寸劇をしていた

そんな大村崑さんは、お父さんに連れて行ってもらった劇場で舞台に上がった経験がきっかけとなり、小学校進学後は、教室で落語や寸劇をするようになったそうで、クラスメイトに笑ってもらえることに喜びを感じるようになったそうです。

大村崑は9歳で父親が他界後は伯父夫婦の養子となると伯母から暴力を受け荒んでいた

しかし、大村崑さんが9歳の時には、お父さんが腸チフスで他界し、生活が一変。

大村崑さんは、子供がいなかった伯父夫婦の養子となったそうですが、和裁教室を開いていた伯母はとてもキツイ性格の人で、和裁で使う物差しで叩かれたり、ゲンコツで殴られるなど、暴力を受けて育ったそうで、大村崑さんは、殴られたことが原因で難聴になってしまったそうです。

そんな家庭環境のせいで、大村崑さんはすっかり荒み、不良グループに入ると、ケンカに明け暮れる毎日を送ったそうです。

大村崑は中学卒業後は高校へ進学するも進駐軍で盗みを働き「闇物資商売」をしていた

そして、大村崑さんは、中学卒業後は高校に進学するのですが、ほとんど学校へ行かず、終戦後は、進駐軍で塩やタバコを盗んで売る「闇物資商売」に手を染めるようになったそうです。

大村崑は10代の時にキャバレー「新世紀」でボーイとして働き始め、すぐに人気者になっていた

そんな大村崑さんですが、やがて、亡きお父さんの影響で芸能界を目指すようになると、まずは、多くの有名人が集まる神戸・三宮のキャバレー「新世紀」で働こうと、ボーイのオーディションを受けたそうです。

すると、大村崑さんはメガネをかけていたことから、一旦は不採用となったそうですが、オーディションで、面白おかしくしゃべっていた大村崑さんを見ていたオーナー夫人が、「あの子、面白いわね」と口添えしてくれたことで、合格となったそうです。

(当時、水商売はメガネ姿がNGだったそうです)

こうして、ボーイとして「新世紀」で勤務するようになった大村崑さんは、100人ほどいたボーイの中でメガネをかけているボーイは大村崑さん1人だったことから、かえって目立ち、早くも人気者となったそうです。

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大村崑は22歳の時に人気司会者の大久保怜に弟子入りしていた

その後、大村崑さんは、肺結核を患ったそうですが、1年半ほど療養すると、無事回復し、「新世紀」に復帰すると、司会も任されるようになったそうで、

やがて司会のおもしろさを知り、親しくしていた雪村いづみさんのマネージャーに、プロになるための相談をすると、人気司会者の大久保怜さんを紹介してもらったそうで、

大村崑さんは、1953年、22歳の時に、大久保怜さんに弟子入りすると、笠置シヅ子さん、灰田勝彦さん、小畑実さんら、人気歌手の地方公演の司会を受け持つようになったそうで、司会業では、(大学卒の初任給が1万円だった時代)月7~8万円も稼いだのだそうです。

「【画像】大村崑の若い頃が凄い!現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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