愛人の子として生まれて、母一人子一人で、ずっとお母さんと暮らしてきたことから、お母さんから再婚する意思を打ち明けられ、ショックで思わず家を飛び出してしまったという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、翌朝には家に帰ると、お母さんと二人で過ごす最後の1日を噛み締めたそうです。
「愛川欽也は母親の再婚話に大きなショックを受けていた!」からの続き
母親を大切にできなかった自分が情けなかった
一緒にご飯を食べようというお母さんの声を無視し、玄関のガラス戸を開けて外に出た愛川さんは、行く先も決めず、暗い道を歩いたそうですが、
今はおでん屋になっている、かつてお母さんと暮らしていた場所に来ると、10歳の時、学童疎開で、数ヶ月、お母さんと離れて暮らしていた時期、お母さんに会いたい一心で、長野から脱走してここへ帰って来たことや、それ以来、一度もお母さんと離れたことがなかったことを思い出したそうで、
やはり、お母さんが再婚することは嫌だと思ったそうですが、同時に、自分の知らない男の所へ行ってしまうお母さんが急に遠い人に思えたそうで、
考えてみると、この2~3年は、お母さんとゆっくり話したこともなく、お母さんがどうやって生活しているのか考えたことすらなく、お母さんなら、これからも、貧しいながらもなんとか今までどおり暮らしていけるものとばかり思い込んでいたことに気付いたそうで、
お母さんに甘えていただけで、お母さんの苦しみを知ろうとはせずにいた自分がとにかく悔しく、また、お母さんを大切にできなかったことが、ただただ情けなく、レンガの塀を拳で叩くと、涙がこみ上げ、思わず、声を上げて泣き出しそうになったそうです。
母親が作ったオムライスをを噛み締めていた
そして、次の朝早く家に帰ると、お母さんは、荷造りをしていたそうですが、愛川さんに気づくと、台所から飛び出してきて、愛川さんにしがみつき、
ありがとう、きっと帰ってくると思った
と、言って泣き出し、
今日はどこへも出かけないよね
と、言ったそうで、
愛川さんが「うん」と言うと、お母さんは、うれしそうに再び片付けを始めたそうです。
一方、愛川さんは、昨晩、よく眠れなかったため、座布団を二つに折り、枕にして横になると、お母さんが、押し入れから布団を出して掛けてくれ、ぐっすり眠れたそうです。
そして、昼頃に目が覚めると、お母さんが、
お腹空いたろ。出来てるよ
と、小さなお膳にオムライスと味噌汁を載せて出してくれたそうで、
愛川さんは、お母さんの作るオムライスを食べるのはこれが最後になるだろうと、ゆっくり時間をかけて、お母さんの味をかみしめるように食べたのだそうです。
母親の分まで生きようと誓っていた
その後、午後には、運送屋の小さなトラックが来たそうで、お母さんの荷物を積み終わると、その日は、巣鴨のとげぬき地蔵の縁日の日だったため、二人で行こうということになったそうで、愛川さんは、子供の時以来、久しぶりにお母さんと肩を並べて歩いたそうですが、
地蔵通の商店街を過ぎ、巣鴨橋を渡ったところで、急に人通りが少なり、
愛川さんが、思わず、
母さん
と、言って、お母さんの手を握ると、お母さんもうれしそうにその手を握り返してくれたそうです。
(この時、二人は、昔、愛川さんが、疎開先の秋田県湯沢で、ナタを持っていじめっ子の家に乗り込んで行った帰り道のことを思い出していたそうです)
そして、ふと、通りの塀を見ると、愛川さんより小さいお母さんの影が、街灯の光をうけて映っていたそうですが、その時、突然、強い風が吹いたそうで、
愛川さんは、足を踏ん張りながら、
これからの人生、母の分まで倒れないように生きていこう
と、思ったのだそうです。
「愛川欽也は「俳優養成所」時代の旧友に慰められ帰宅していた!」に続く
赤ちゃんだった頃の愛川さんと母親のみいさん。