1963年、難関を突破し「日本テレビ」に入社すると、研修期間中には、アナウンス部の上司・越智正典さんのはからいで、憧れの長嶋茂雄さんと初対面を果たしたという、徳光和夫(とくみつ かずお)さんは、その後も、念願の野球中継に携わるなど、幸先の良いスタートを切ったといいます。

「徳光和夫が若い頃は超難関を突破し日本テレビに入社していた!」からの続き

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研修期間中に早くも念願の野球の実況中継を担当

「日本テレビ」に入社した徳光さんは、入社1年目の研修期間中、早くも、念願の野球中継にサブアナとして携わることができたそうで、

ペナントレースはもちろんのこと、六大学野球、都市対抗と、いろいろな野球を取材で観ることができたほか、スコアブックをつけるなど、いろいろな経験をさせてもらえたそうです。

(スコアブックは、つけるだけではなく、そのプレーで選手たちがどんな表情をしていたかまでを書き込み、メインのアナウンサーに情報を提供していたそうです)

アマチュアの野球で実況の練習を繰り返し行っていた

また、アナウンス部の上司・越智正典さんからは、

野球の実況というのは目に映ったものを、すぐに口で描写できなければいけない

と、教えてもらったことから、

デンスケ(テープレコーダー)などの機材を抱えて、神宮の外苑にあるアマチュアの野球場に出向き、草野球を題材に、実況の練習を繰り返し行ったそうです。

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朝の通勤電車の中でも実況の練習を行っていた

さらには、越智さんから、野球の実況以外にも、

とにかく動いているものを実況できるようにトレーニングしておきなさい、きっと役に立つから

と、教えられたことから、

朝の通勤電車では、茅ヶ崎から新橋間の流れる風景を、

ただいま電車は新橋を出まして、次の品川へ向かっております。左手に高架橋が見えてまいりました。その向こう側に東京湾が広がっていることでありましょう。外国航路を行き交う船の汽笛が聞こえてきそうな、そんな小春日和の一日です

と、実際に声に出して実況していたそうで、

徳光さんは、

そういう練習を繰り返し、さらに野球を見まくって、あらゆるプレーをスコアブックやメモ帳に記録していく。同時に頭の中にも記憶する。

つまり、脳内に野球のいろんなシーンを詰め込み、しまい込んでいく作業とでもいいますか、引き出し、ライブラリーを作っていくわけなんですよ。

それでいざ、自分がしゃべる際に目の前で繰り広げられている試合のプレーひとつひとつに活かしていく。それが幅広く奥深い野球中継につながっていく・・・

と、語っています。

「徳光和夫が若い頃は労働組合活動に熱中していた!」に続く

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