国民的人気ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションで、参加者2万5000人の難関を突破したという、浅田美代子(あさだ みよこ)さんは、「時間ですよ(第3シリーズ)」に出演すると、たちまち人気を博し、劇中歌の「赤い風船」も大ヒットします。
「浅田美代子は高2の時スカウトされ「時間ですよ」でデビューしていた!」からの続き
テレビドラマ「時間ですよ」でたちまち人気を博す
芸能界入りに反対する両親を説得するため、事務所が苦肉の策で提案した、国民的人気ドラマ「時間ですよ」(第3シリーズ)の新人オーディションで、見事、参加者2万5000人の難関を突破した浅田さんは、
翌年の1973年2月14日、テレビドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」のお手伝いさんの「美代ちゃん」役で女優デビューすると、その愛らしいルックスでたちまち人気を博します。
「時間ですよ」より。(左から)堺正章さん、浅田さん、天地真理さん。
デビュー曲「赤い風船」が大ヒットしアイドルとしてブレイク
また、同年4月には、同ドラマの劇中歌「赤い風船」で歌手デビューも果たすと、いきなり、オリコン2位にランキングし、翌週(3週目という説もあり)には1位となるなど、80万枚を売り上げる大ヒット。
「赤い風船」
同年末には、「第15回日本レコード大賞」で新人賞も受賞するなど、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、
後に、浅田さんは、
あれ(歌手デビュー)はもともと決まっていたみたいで。4月にレコードが出ると、今度は歌番組とかにも出ることになって、もう訳が分からない状況でしたね。
『時間ですよ』は代々、天地真理さんもそうでしたし、『二階の真理ちゃん』から『隣の美代ちゃん』というように、ちょっと距離が近づいたんです。親しみやすくという感じで(笑)
と、語っています。
「時間ですよ」のレッスンではひたすら雑巾がけをやっていた
ところで、浅田さんは、それまでお芝居を一度もしたことがなかったため、「時間ですよ」では、レッスンをしてもらえることになったそうですが、
お手伝い役のため、雑巾がけができないとダメだと言われ、とにかく、廊下をタッタッタッタっと雑巾がけをさせられたそうで、
これがお芝居の稽古なんだ
と、思いながら雑巾がけをしていたそうです(笑)
演出家の久世光彦から厳しい演技指導を受けていた
ただ、演出家の久世光彦さんからの演技指導はとても厳しく、怒鳴られ、時には灰皿が飛び、頬を平手打ちされるなどスパルタ式の猛特訓だったそうで、時には涙することもあったそうです。
(当時所属していた「芸映プロダクション」の相馬一比古氏に励まされたそうです)
また、劇中、浅田さんは、銭湯の従業員役の堺正章さんと樹木希林さんとともに、「トリオ・ザ・銭湯」と呼ばれていたのですが、この「トリオ・ザ・銭湯」の3人のシーンはコントとなっていたため、脚本通りではなく、みんなで考えて朝までかかって作り上げていくなど、超ハードな現場だったそうです。
(脚本には、途中から、「トリオ・ザ・銭湯、おまかせ」としか書かれなくなったそうです)
それでも、この時の経験によって、後にいろいろなことに対処できるようになり、たとえ台本通りにいかなくても(「釣りバカ日誌」など)、戸惑うことなく楽しんでできるようになったのだそうです。
「浅田美代子は樹木希林に「時間ですよ」から可愛がられていた!」に続く