1969年3月にジョン・レノンさんと結婚すると、ハネムーン中には、ジョンさんと共に”ベッド・イン”という平和運動を行った、オノ・ヨーコさんですが、同年9月、ジョンさんが自身のバンド「ビートルズ」を抜けることをメンバーに伝え、翌年1970年に「ビートルズ」が解散すると、オノさんは、「ビートルズを解散させた」として激しいバッシングに遭います。
「オノ・ヨーコとジョン・レノンの「ベッドイン」とは?」からの続き
「ビートルズ」解散の元凶とされ嫌われ者のレッテルを貼られる
1969年9月、オノさんの夫のジョン・レノンさんは、「ビートルズ」のミーティングで、メンバーのポール・マッカートニーさんと口論になったそうですが、その際、
「契約書にサインするまでは黙ってろ」と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。俺はもうビートルズを辞めることにした。
と、吐き捨て、以降、ジョンさんが「ビートルズ」としてスタジオに戻ることは2度となかったそうで、翌年の1970年には「ビートルズ」が解散しているのですが、
この解散に対し、当時、メディアは、
オノ・ヨーコがジョン・レノンをビートルズから引き離して、解散に追い込んだ
と、「ビートルズ」の解散の原因がオノさんにあると書き立て、オノさんを大バッシング。
そんなバッシングの影響から、オノさんは、以降、「ビートルズ」のファンから嫌われ者のレッテルを貼られてしまいます。
「ビートルズ」のメンバーはオノ・ヨーコの存在にウンザリしていた
実際、オノさんは、ジョンさんの音楽家(芸術家)としてのキャリアに、「前衛的なパフォーマンスアート」「平和のための活動など政治的な動き」などの影響を与えたほか、ジョンさんの人生にも愛と充足感をもたらし、ジョンさんは、すっかり、オノさんの虜になっていたそうで、
ポール・マッカートニーさんは、
僕らは、ほら、ああいうしっかりまとまったグループだったからさ。でも、ジョンがその当時ヨーコにかなり惚れ込んでいたのは事実だから、今思えば、ジョンは新しく手に入れた自由をエンジョイして、ワクワク気分だったんだろうなと思うよ。
でも、ヨーコがスタジオに現れて、何もしないでチョコンと僕らの真ん中に座られてもねって感じだったよ。僕らはそのことにウンザリしていたと認めざるを得ないよね
と、語っています。
オノ・ヨーコはジョンレノンにとって母親的存在だった
ちなみに、ジョンさんは、幼い頃に、実の母親が家を出ていき、ジョンさんが10歳の時には交通事故で他界しており、その後、伯母さんのミミという女性に育てられたそうですが、
オノさんは、その育ての親であるミミおばさんの、厳しくも愛情深く威厳のある性質がそっくりだったそうで、
オノさん自身も、
私はミミおばさんに(性質が)そっくりだ、だから彼は私なのだ
と、語っています。
また、ポール・マッカトニーさんも、
彼はヨーコと出会った。彼は強い女性が好きだったんだ。彼の母親は強い女性だったし、彼を育てた(ミミ)おばさんも強い女性だったけど、残念ながら、彼の最初の妻は強い女性ではなかったんだよ。
と、語っています。
(ジョンさんの前妻・シンシアさんは控えめな性格で、ミミおばさんとは似ていなかったそうです)