「ビートルズ」を解散させた元凶として、ファンからは激しいバッシングに遭いながらも、プライベートでは、夫・ジョン・レノンさんとの間に、待望の長男・ショーンさんが誕生するなど、順調な家庭生活を送っていた、オノ・ヨーコさんですが、突然、そんな幸せな日々が終わりを迎えます。
「オノ・ヨーコは「ビートルズ解散」の原因なのか?」からの続き
夫ジョン・レノンは普段から誰にでも気軽にサインや写真撮影に応じていた
1980年12月8日、ジョン・レノンさんとオノさんは、夜10時30分にレコーディングを終えると、「レコード・プラント・スタジオ」からリムジンに乗り、午後10時50分頃、ニューヨークの自宅である高級集合住宅「ダコタハウス」の72丁目側の入口前に到着。
オノさんが先に降り、ジョンさんが続いて降りたのですが・・・
(ジョンさんは、ファンがサインをもらおうと長い時間待っていることを知っていたため、普段から、誰にでも気軽にサインや写真撮影に応じていたそうで、2日前(1980年12月6日)にも、BBCラジオ1でのインタビューで、「(ファンとは)「ハイ」とあいさつしたりするだけで、困るようなことをするわけじゃない」と話しており、この日も、より安全な中庭ではなく、手前の72丁目側の入口前で車を降りたのだそうです)
すぐ近くにいた夫ジョン・レノンが銃撃される
ジョンさんが中庭に続くアーチに差し掛かると、後ろから、
Mr.Lennon?(レノンさんですか?)
と、声をかけられたそうで、
振り返ると、両手で拳銃を握って立っていた男が、1.5メートルの至近距離からいきなり発砲。
1発目の銃弾はジョンさんには命中せず、頭部のそばをかすめただけも、続く2発目の銃弾はジョンさんの背中左側に命中。そして、さらに2発が左肩を貫通。
ジョンさんは、
I’m shot!I’m shot!(撃たれた、撃たれた!)
と、2回叫び、
よろめきながら「ダコタ・ハウス」の受付への階段をふらふらと5段登り、そこで倒れたのでした。
夫ジョン・レノンは病院搬送中はまだ意識があった
そこで、慌てて戻ってきたオノさんがジョンさんの頭を抱きかかえたそうですが、すぐに、「ダコタ・ハウス」のコンシェルジュのジェイ・ヘーステングス(Jay Hastings)さんがジョンさんの止血をし、警察等に通報。
ジョンさんはあまりにも負傷がひどかったことから、救急車よりも速く到着したパトカーによってルーズベルト病院に搬送されたそうですが、
警官のジェームズ・モランさんによると、「自分が誰だか分かるか?」という問いかけに、ジョンさんは、意識が朦朧(もうろう)とした状態で、答えることができなかったそうで、
モランさんは、その時のことを、
(ジョンさんは)うめき声を上げながら、分かると言わんばかりにうなずいた
と、語っています。
(ちなみに、オノさんは、もう1台の別のパトカーに乗り、ジョンさんを乗せたモランさんのパトカーを追うように、ルーズベルト病院に向かったそうです)
「オノ・ヨーコがジョンレノンの死を知らせた3人の人物とは?」に続く