1980年12月8日午後10時50分、夫のジョン・レノンさんが、ニューヨークの自宅である高級集合住宅「ダコタ・ハウス」の入り口で銃撃され、救急車よりも速く到着したパトカーに乗せられ病院に搬送されるも、帰らぬ人となると、オノ・ヨーコさんは、床に崩れ落ち、頭を床に打ち付けたそうですが、その後、3人だけにジョンさんの死を伝えたといいます。
「オノ・ヨーコは銃撃されたジョン・レノンのすぐ近くにいた!」からの続き
夫ジョン・レノンの死亡を聞くと、崩れ落ち、床に頭を打ち付けていた
至近距離から4発もの銃弾を浴びるも、病院搬送中には、朦朧(もうろう)となりながらもまだ意識があったというジョン・レノンさんですが、ルーズベルト病院に到着すると、この時、すでに全身の血液の80%を失っていたそうで、
手の施しようがなく、銃撃から約30分後の午後11時15分頃、担当医のスティーブン・リン博士により、死亡が確認(享年40歳)。
リン博士が、深呼吸しながら、オノさんに、
とても悪い知らせがある。最善を尽くしたが、あなたの夫は亡くなった。苦しむことはなかった
と、告げると、
オノさんは、すすり泣きながら、
どういうこと?彼は眠っているの?
嘘だって言ってよ
と、言って、崩れ落ち、床に頭を打ち付けたそうです。
3人だけに夫ジョン・レノンの死を伝えていた
ただ、看護師が、ジョンさんのはめていた結婚指輪を渡すと、オノさんは、次第に落ち着きを取り戻したそうで、深夜、「ゲフィン・レコード 」の社長デヴィッド・ゲフィン(David Geffen)さんに付き添われて帰宅すると、
その後、ジョンさんの長男のジュリアンさん(ジョンさんと前妻シンシアさんとの息子)、育ての親であるミミ・スミスさん、ポール・マッカートニーさんの3人だけにジョンさんの死を知らせる電話をしたのだそうです。
ジョンレノンを射殺した犯人はマーク・チャップマン
ところで、ジョンさんを銃撃した男は、マーク・チャップマンというのですが、チャップマンは、ジョンさんを撃った後、現場から逃走せず、警察官が到着するまで「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいたそうで、逮捕時にも抵抗することはなかったといいます。
ジョン・レノンさんを殺害したマーク・チャップマン。
マーク・チャップマンはジョン・レノンの狂信的なファンだった?
そんなチャップマンは、犯行当時、狂信的ファンであると報じられており、チャップマンの友人によると、チャップマンは、ジョンさんになりたがっていたそうで、いつも「ビートルズ」の曲をギターで弾いており、ハワイ・ホノルルでアパートの管理人の仕事に就いた際には、IDカードにジョンさんの名をテープで貼り付けるほか、ジョンさんを真似てか、年上の日系女性と結婚していたといいます。
また、その反動からか、犯行に及ぶ半年前にジョンさんにサインをもらった際には、ジョンさんのサインの仕方が気に入らなかったとも語っていたほか、ジョンさんの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い、殺害計画をしたとも語っています。
さらに、もともと精神不安定だったそうで、
- “ジョン・レノンを殺せ”という神の声を聞いた
- ジョンレノンを殺害する事で、自分のアイデンティティが発見できると考えた
- ジョンレノン殺害は自分の人格を見出す上で、止められないミッションだった
- ジョンレノンを殺害する事で、自分が何者かになれるはずだと思った
- 自分は人格を持たない人間だったが、ジョンレノンは世界を鎖に繋ぐことに成功した人間だった
- 自分の名前を広めるために殺害した
- 有名になりたくてジョン・レノンを殺した
とも、供述していたといいます。
「オノ・ヨーコの夫ジョンレノンは殺害される直前に犯人にサインをしていた!」に続く
連行されるマーク・チャップマン。