1980年12月8日午後10時50分に銃撃を受けたジョン・レノンさんですが、オノヨーコさんによると、実は、その当日の午後5時頃、ジョンさんは、犯人のマーク・チャップマンに、ジョンさんとオノさんの最新アルバム「ダブル・ファンタジー」を差し出され、サインしていたといいます。
「オノ・ヨーコがジョンレノンの死を知らせた3人の人物とは?」からの続き
マーク・チャップマンは事前にジョン・レノンの殺害を計画していた
1980年12月8日午後10時50分にジョン・レノンさんを銃撃したチャップマンですが、実は、事前に殺害計画を立てていたそうで、
同年10月下旬には、勤めていたビルの管理の仕事を辞め、(当時在住していた)ハワイ・ホノルル警察に拳銃所持許可を申請し、10月27日には、チャーターアームズ38口径スペシャルを169ドルで購入していたそうです。
(実は、チャップマンは、この10月にも、ジョンさんの殺害を実行するため、ニューヨークを訪れていたそうですが、その時は心変わりして、帰っていたそうです)
マーク・チャップマンはジョン・レノンを殺害する前日「ダコタハウス」前をうろついていた
そんなチャップマンは、同年12月にはホノルルからニューヨークに向かい、12月6日(土)に到着すると、ジョンさん&オノさん夫妻が住む、高級集合住宅「ダコタ・ハウス」の入口付近をうろついていたそうで、さらに、翌日の12月7日(日)にも「ダコタ・ハウス」前をうろついていたそうです。
ただ、「ダコタ・ハウス」は、ジョンさん&オノさん夫妻以外にも、有名人が数多く住む建物だったため、ファンが集ってくることは珍しくなく、誰も気に留めなかったのだそうです。
(ちなみに、12月6日(土)の午後にチャップマンを乗せたタクシーの運転手によると、チャップマンは、自分はジョン・レノンのサウンドエンジニアで、今、レコーディングの最中だと話していたそうで、ジョンさんとポール・マッカートニーさんが仲直りをし、一緒にアルバムを作ることになったとも話していたそうです)
マーク・チャップマンは犯行当日ジョン・レノンにサインをもらっていた
そして、犯行当日の12月8日(月)午後5時頃、チャップマンは、ジョンさんとオノさんが一緒に建物から出てくるのを確認して、おそるおそる二人に近づき、サインをもらうべく、ジョンさんとオノさんの最新アルバム「ダブル・ファンタジー」を無言でジョンさんに差し出したそうで、
(チャップマンのほかにも数名のファンが近寄ってきたそうです)
ジョンさんがそれを受け取ってサインをし、
君がほしいのはこれだけかい?
と、尋ねると、チャップマンは笑顔でうなずいたそうですが・・・
マーク・チャップマン(右)が差し出したアルバム「ダブル・ファンタジー」にサインをするジョン・レノンさん(左)。(「ビートルズ」のファンでカメラ好きだったポール・ゴレッシュさん撮影)
それから、約5時間後、ジョンさんは、戻ってきたところをチャップマンに殺害されたのでした。
ちなみに、ジョンさんは、殺害される直前、「ダコタ・ハウス」の玄関アーチを通り過ぎる時、陰に潜んで立っていたチャップマンを振り返って見ていたそうです。
(数時間前に会ったことを思い出していたようだったと言われています)
マーク・チャップマンは終身刑で現在(2021年)も服役中
さておき、チャップマンは、その場で逮捕され、裁判で、第二級謀殺の罪で有罪と認定されると、懲役20年から無期の判決が言い渡され、現在もニューヨーク州にあるウェンデ刑務所に服役しているそうですが、
2000年から、仮釈放の申請ができるようになり、2020年の20年の間に仮釈放の申請を11回行うも、反省や更生がみられないことや、ジョンさんの遺族であるオノさんや息子ショーンさんへの犯行の恐れがあるほか、オノさんの反対などもあり、すべて却下されているとのことです。
「オノ・ヨーコが「ジョン・レノンは米政府に殺された」と発言!」に続く
ジョン・レノンさん殺害を伝える日本のメディア。