1983年には、本屋で偶然見つけた小説「影の獄にて」にインスピレーションを得て、映画化した「戦場のメリークリスマス」が世界中で上映され、高い評価を得た、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、当初は、商業性の乏しい題材になかなか製作費が集まらなかったうえ、主人公に想定していたロバー・レッドフォードさんにも出演を断られていたといいます。


「大島渚は昔「戦場のメリークリスマス」が世界中で公開され高評価を得ていた!」からの続き

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「戦場のメリークリスマス」は商業性に乏しく海外のプロデューサー探しに難航していた

書店で偶然見つけた小説「影の獄にて」にインスピレーションを得た大島さんは、次作として、「影の獄にて」を原作とする、戦時中におけるジャワ島での日本軍による収容所の物語を企画するのですが、

前ニ作の「愛のコリーダ」「愛の亡霊」のようなエロティックな話と違い、題材が収容所と商業性に乏しかったことから、なかなか海外のプロデューサーが見つからなかったそうです。

「ヘラルド・エース」の原正人に「戦場のメリークリスマス」の企画をあきらめるように説得されていた

そんな大島さんは、映画配給会社「ヘラルド・エース」立ち上げのパーティに出席した際には、「ヘラルド・エース」設立者でプロデューサーの原正人さんに、この新作の企画への協力を求めたそうですが、

脚本を読んだ原さんには、「(大島さんの試算通り)製作費は少なく見積もっても8億円以上はかかるほか、舞台が収容所の中だけという作品では、製作費を集めることは難しい」と、この企画をあきらめるように言われたのだそうです。

それでも、大島さんが、「どうしてもこれを撮りたい」と食い下がると、原さんは、その熱意に打たれ、ヨーロッパでの製作パートナーを探す人材を紹介するなどの協力をしてくれたそうですが、なかなか思うように企画は進まなかったそうです。

(大島さんは、海外で製作費を半分負担してくれるところを探していたそうです)

ロバート・レッドフォードにジャック・セリアズ陸軍少佐役をオファーするも・・・

一方、キャスティングに関しては、主人公のジャック・セリアズ陸軍少佐役に、アメリカの俳優・ロバート・レッドフォードさんを想定していたそうで、

1980年3月、大島さんは、「愛の亡霊」の全米公開キャンペーンに合わせて渡米した際、レッドフォードさんに面会を求めると、「カンヌ国際映画祭」で大島さんの作品「儀式」を観ていたレッドフォードさんはこれを快諾したそうで、ニューヨークで会見することになったそうですが・・・

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ロバート・レッドフォードには遠回しに出演を断られていた

レッドフォードさんは、

(事前に送っていた原作と脚本を読んでいたそうで)慌てて一度読んだだけだから誤解があるかもしれないが・・・

と、前置きしつつ、

日本軍の敵の捕虜に対する残虐行為を、特に映画の前半におけるそれを、アメリカのオーディエンスは理解できないと思う

と、言ったそうで、

これに対し、大島さんは、

はじめから理解できるようなら、そんな映画はつくる必要がない。理解できなかった者同士が最終的に理解に達するというのが、この映画のテーマなのだから

と、反論。

すると、レッドフォードさんは、

でも、アメリカのオーディエンスは映画の終わりまで待ってくれるほど辛抱強くはない

と、言ったそうで、

2人は共に笑い合ったそうですが、

(レッドフォードさんの言葉には、「わかるだろう?」という意味が込められており、それに同意した大島さんは「わかった」という意味で笑ったのでした)

その後、レッドフォードさんが、再び、

アメリカのオーディエンスは・・・

と、言ったことから、

大島さんは、レッドフォードさんの出演は無理だと悟ったそうで、

(というのも、日本の大手映画会社の首脳たちに企画を提示した際に返ってくる否定的な言葉も、いつも決まって「日本の観客は・・・」だったそうで、大島さんは、これは断り文句だと理解していたのでした)

別れ際には、レッドフォードさんに、「新しいシナリオが出来たらまた話がしたい」と言われ、握手を交わしたそうですが、大島さんは、「戦場のメリークリスマス」に関しては、レッドフォードさんに再交渉はするまいと決めたのだそうです。

「大島渚はデヴィッド・ボウイへのオファーをCM宝酒造「純」を見て決めていた!」に続く

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