1960年に、女優の小山明子さんと結婚すると、小山さんの物心両面のサポートのもと、秀作を次々と生み出し、小山さんをカンヌに連れて行く約束を見事果たした、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、小山さんとの間には、2人の男の子が誕生しています。今回は、そんな大島さんの長男をご紹介します。
「大島渚は家庭では穏やかで一度も声を荒げたことがなかった!」からの続き
息子(長男)の大島武は当初NTTに勤務していた
大島さんの長男は、1963年に誕生した東京工芸大学教授の大島武(おおしま たけし)さんです。
長男の大島武さん。
武さんは、もともと、小学校の教諭になりたかったそうですが、お父さんの渚さんに反対され、一橋大学卒業後は、一旦は、NTTに入社し、やがて、新入社員を育成する部署に配属されたそうです。
(お父さんが小学校教諭に反対したのは、「人というのは教えてもらうのではなく、自ら学びとるものだと」の哲学があったからだそうです)
息子(長男)の大島武は東京工芸大学教授
ただ、その後、NTTに勤務するかたわら、1994年にロンドン大学でMBA(経営学修士)を取得すると、先生になる夢があきらめきれず、1995年には、NTTを退社し、念願だった教師(大学教授)への道に進んだそうで、
お父さんの渚さんからは、大学教授が一番つまらないと言われたそうですが、だからこそ、その垣根を越えて、若い力を育てたいと思っているそうで、
学生には、
生意気で突き抜けた学生がいてもいい。発表することは人目にさらされて批判されるリスクを負う。不完全でも若いうちはそれが重要
と、説いているとのことでした。
(また、お父さんから言われた、「お前が面白いと思っていても、周りの人はそうは思っていない」と言う言葉が今でも指針になっているそうです)
息子(長男)は当初は父・大島渚を尊敬するも「愛のコリーダ」で恨むようになっていた
そんな武さんは、子供の頃、お父さんが、テレビのクイズ番組などにも出演していたことから、お父さんは特別な人、という認識はあったそうですが、
お父さんの監督映画「夏の妹」(1972年)を観て、(主演が特撮ヒーロー(「アイアンキング」)の石橋正次さんと、人気アイドルの栗田ひろみさんだったことから)お父さんはかっこいいと、お父さんの映画監督としての仕事を誇りに思うようになっていたそうです。
ところが、「夏の妹」の次の作品が「愛のコリーダ」で、その前例のない性愛表現が一大センセーショナルを巻き起こし、お父さん自身が注目を集めるようになると、
武さんたち家族にも影響し、直接ではないものの、”エロ監督の息子”と呼ばれたこともあったほか、友達が家に来ると、そういう類の本がないか探されたこともあったそうで、
当時、中学1年生(13歳)で思春期だった武さんは、それがとてもつらく、なぜ、かっこいいと思っていたお父さんが、よりによってそんな映画を撮ったのかと恨むようになったそうで、
以来、「愛のコリーダ」を意識的に遠ざけるようになるほか、映画自体も嫌いになり、お父さんの後を継いで映画の道へ進もうとは一切思わなくなったそうです。(お父さんからも勧められることはなかったそうです)
息子(長男)は「愛のコリーダ2000」を観てようやく父・大島渚の生き方を理解できるようになっていた
ただ、2000年、37歳の時、ついに、「愛のコリーダ2000」を観ると、
若干、トラウマを引きずりつつも、2000年には私も37歳になっていたので、大島渚の息子として映画館で観ようと決意しました。予想と違って、性的興奮を誘うような映画ではなく、逆に驚いたくらいです。
改めて気づいたのは、人が観たくない領域に分け入っていくのが、父の生き方だということ。つねに闘う相手を探していたのだと思います。何でも好きなものが観られる今の時代では、むしろ父は闘う相手を見つけられなかったかもしれません
と、お父さんがなぜ「愛のコリーダ」を製作したのか、理解できるようになったそうで、以来、
『愛のコリーダ』裁判で問題になった出版物を学生に見せて『きみたちはどう思うか』と問いかけます。『わいせつ、なぜ悪い』というフレーズは彼らにとってもインパクトがあるようですね。
今の感覚では、コンビニで売っている本よりも、その表現は明らかにソフトですから
と、今では、その立場を現在の仕事にも活かしているとのことでした。
(今では「大島渚の息子」と認識されることは少なくなったそうですが)
「大島渚の息子(次男)はドキュメンタリー監督の大島新!」に続く