自殺未遂した直後に、駆けつけて来てくれたことがきっかけで、神津善行さんと交際に発展したという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、その後、3回目のデートで神津さんにプロポーズされ、すぐに受け入れたそうですが、その報告を友達の永六輔さんにした時に伝えた言葉がもとで、坂本九さんの有名な曲「上を向いて歩こう」(永六輔さん作詞)は生まれたといいます。

「中村メイコは自殺未遂をきっかけに神津善行と交際していた!」からの続き

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神津善行の夢はニューヨークへ音楽留学することだった

海に入って自殺を図るも、本能で泳いでしまって沖に行っても沈まず、気がつくと、波打ち際に浮かんでいたところ、徳川夢声の娘さんに助けてもらい、神津善行さんに連絡するよう伝えると、飛んできてくれたことから、神津さんと親密になったという中村さんは、

神津さんとは、ちょうどこの頃、テレビドラマ「二人でお茶を」で一緒に仕事をしていたそうですが、ドラマ終了後には、神津さんから、よく、ニューヨークへ音楽留学する夢を聞いていたそうです。

(「二人でお茶を」は、中村さんとフランキー堺さんが主演のドラマなのですが、フランキーさんは、神津さんの麻布学園時代の先輩だったことから、その縁で神津さんが音楽を担当していたそうです)

3回目のデートで神津善行から突然プロポーズされる

そんな中、3回目のデートで、日比谷公園を二人で歩いている時、

突然、神津さんから、

アルバイトで留学資金は貯まりました。でも、その留学資金を全部、あなたとのデートに使おうと思いますが、ボクは結婚が前提でないと女性と付き合えません。すべて使い果たしたときにきちんと返事をください

と、プロポーズされたそうで、

神津さんがニューヨークへ音楽留学するのが夢だということ何度も聞いて知っていた中村さんは、その夢よりも自分のことを大切に思ってくれていると感動し、心も体も震え、

思わず、

わたしで よかったら・・・

と、すぐに、プロポーズを受け入れたのだそうです。

神津善行と結婚

ただ、当時、中村さんは、まだ19歳で、相変わらず仕事が忙しく、神津さんも、21歳の音大生で、ようやくお金を稼げるようになってきたばかりの作曲家の卵だったため、すぐに結婚というわけにはいかず、

プロポーズから2年後の1955年2月に婚約し、2年半後の1957年11月20日、ようやく結婚したのだそうです。


結婚式での神津善行さんと中村さん。

(中村さんは、後から聞いて知ったそうですが、なんと、神津さんは、中学生の時、中村さんのブロマイドを見て、「将来、こいつと結婚するから」と周囲に言っていたのだそうです)

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「上を向いて歩こう」は永六輔の失恋ソングだった

ところで、坂本九さんの有名な曲「上を向いて歩こう」(1961年)は、永六輔さんが作詞をしているのですが、これは、中村さんが永さんに伝えた言葉がもとになって作られたといいます。

中村さんは、神津さんと結婚することが決まったことを、友達の永六輔さんに日比谷公園で伝えたそうですが、永さんは(中村さんのことが好きだったようで)ショックのあまりボロボロと涙を流したそうで、

(中村さんは、作詞家・三木鶏郎さんにとても可愛がってもらっていたそうですが、当時、早稲田大学の学生だった永さんは、三木さんのもとで、神津さんと共にアルバイトをしていたそうです)

中村さんは、男性に泣かれるのは初めてだったため、戸惑い、どうしていいか分からず、すぐに、公衆電話から、ナンセンス作家でお父さんの中村正常さんに電話をかけて、

神津君と結婚するって言ったら、永君がぽろぽろと涙をこぼしているんだけど、こういうとき、どう言えばいい?

と、相談したそうですが、

お父さんからは、

『上を向いて帰りたまえ』 と 伝えたまえ。『涙がこぼれないように』とね

と、言われ、

中村さんは、その言葉通り、永さんに伝えたそうで、

それが永君の頭のどこかにあって、「上を向いて歩こう」の詞になったのかもしれませんね。

と、語っています。

(ちなみに、その後、中村さんのお父さんは、酔うと、「ボクに印税が来ないのは罪ですな」とこぼしていたそうです(笑))

「中村メイコは当初は親友・美空ひばりのことをよく思っていなかった!」に続く

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