1959年、中村八大さんから依頼され作詞した、水原弘さんのデビュー曲「黒い花びら」がミリオンセラーとなった、永六輔(えい ろくすけ)さんは、1961年には、坂本九さんに作詞した「上を向いて歩こう」も大ヒットとなっているのですが、その後、「SUKIYAKI」に改題されると、さらに、世界中で1300万枚以上を売り上げる爆発的なヒットとなっています。今回は、なぜ、「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」に改題されたかほか、爆発的ヒットに至る経緯をご紹介します。
「永六輔が作詞した「黒い花びら」は当初ヒットを予想されていなかった!」からの続き
坂本九に提供した「上を向いて歩こう」が大ヒット
作曲家の中村八大さんとの偶然の出会いから、水原弘さんのデビュー曲「黒い花びら」の作詞をすると、「黒い花びら」が大ヒットし、人気作詞家の仲間入りをした永さんは、1961年には、坂本九さんにも「上を向いて歩こう」を作詞しているのですが、
同年7月、坂本さんが、「第3回 中村八大リサイタル」で歌い、翌8月、バラエティ番組「夢であいましょう」の毎月1回、新曲を紹介するコーナー「今月のうた」で紹介されると、大反響を呼び、同年10月にシングルカットされると、またしても大ヒットとなります。
「上を向いて歩こう」
ヨーロッパではタイトルを読むことができずヒットしなかった
そして、1962年夏には、この勢いに乗り、フランスを始めとするヨーロッパ各国でも、「上を向いて歩こう」は日本語のままレコードが発売されることになり、坂本さんは、2週間、フランスほかヨーロッパ5カ国を回ってプロモーション活動をしたそうですが・・・
(フランスのレコード会社「パテ・マルコーニ」が、坂本さんが歌う日本語のままで通用するだろうと判断したそうです)
レコードに表記されたローマ字の「UEO MUITE ARUKOU」は、ヨーロッパの人にはどのように発音するのか分からず、また、どこの国の言葉なのか理解できなかったことから、このことが致命的となり、(ラジオで流れる曲の評判は良かったものの)レコードセールスには結びつかなかったそうです。
ヨーロッパで発売された「UEO MUITE ARUKOU」
(ラジオのアナウンサーやDJもタイトルを読むことができなかったそうで、一般の人はなおさら読むことができなかったようです)
イギリスで「SUKIYAKI」と改題したインストゥルメンタル版が大ヒット
ただ、1963年1月、イギリスで、ディキシーランド・ジャズのトランペッターであるケニー・ポールさんという人が、「上を向いて歩こう」をインストゥルメンタルのジャズにアレンジし、タイトルを「SUKIYAKI」と改題して発売すると、
ほどなくして、このインストゥメンタル版「SUKIYAKI」は、シングルチャートで10位に食い込む大ヒットを記録します。
「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」となった理由とは?
ちなみに、「上を向いて歩こう」が、なぜ、「SUKIYAKI」となったかですが、ケニーさんによると、言葉の意味ではなく、短くわかりやすい日本語のタイトルをつけたかったそうで、
たまたま、ケニーさんが知っている日本語は「SUKIYAKI」と「SAYONARA」だけで、「SAYONARA」では暗すぎるとの理由から、「SUKIYAKI」となったのだそうです(笑)
アメリカでも「SUKIYAKI」はミリオンセラーの大ヒット
さておき、1963年4月には、アメリカでも、坂本さんが歌唱したオリジナルのレコード「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」として発売されると、6月15日から3週間に渡って全米シングルチャート1位を記録し、100万枚以上を売り上げる大ヒット。
その後、「上を向いて歩こう」は、世界約70ヶ国でも発売され、1300万枚以上を売り上げる爆発的なヒットとなったのでした。
(この「上を向いて歩こう」のヒットがきっかけとなり、作詞家の永さん、作曲家の中村八大さん、歌手の坂本九さんは、「六・八・九 トリオ」と呼ばれるようになりました)
「永六輔が「上を向いて歩こう」の歌詞に込めた意味とは?」に続く
「SUKIYAKI」