1963年11月、三島由紀夫さんの戯曲「喜びの琴」の上演を、「文学座」の座長・杉村春子さんらが、いくつかのシーンを問題視し、拒否したことにより、三島さんが「文学座」を脱退すると、三島さんに同調した10数名のメンバーとともに「文学座」を脱退した、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さんですが、今回は、杉村春子さんらが、問題視したというシーンをご紹介します。
「丹阿弥谷津子が若い頃は三島由紀夫らと共に「文学座」を脱退していた!」からの続き
戯曲「喜びの琴」では北村和夫が反共的なセリフを言うのを泣きながら拒否していた
まず、戯曲「喜びの琴」には、主人公で、反共(反共産主義)思想を固く信じる若い公安巡査・片桐が、反共的なセリフを話すシーンがあるのですが、
その片桐と対話する上司・村松部長役の北村和夫さんが、共産党員だったことから、
僕の役の反共的なセリフは、僕にはしゃべれません。役者としてこの役はどうしてもやれません!
と、泣いて訴えていたといいます。
戯曲「喜びの琴」での公安巡査・片桐のセリフとは?
ちなみに、その片桐のセリフというのは、
国際共産主義の陰謀ですよ。あいつらは地下にもぐつて、世界のいたるところで噴火口を見つけようと窺つてゐるんです。世界中がこの火山脈の上に乗つかつてゐるんです。
もしこの恣まな跳梁をゆるしたら、日本はどうなります。日本国民はどうなります。日本の歴史と伝統と、それから自由な市民生活はどうなります。
われわれがガッチリ見張つて、奴らの破壊活動を芽のうちに摘み取らなければ、いいですか、いつか日本にも中共と同じ血の粛正の嵐が吹きまくるんです。
地主の両足を二頭の牛に引張らせて股裂きにする。妊娠八ヶ月の女地主の腹を亭主に踏ませて踏ませて殺す。あるひは一人一人自分の穴を掘らせて、生き埋めにする。
いいかげんの人民裁判の結果、いいですか、中共では十ヶ月で一千万以上の人が虐殺された。一千万といへば、この東京都の人口だ。それだけの人数が、原爆や水爆のためぢやなくて、一人一人同胞の手で殺されたのだ。
それが共産革命といふものの実態です。それが革命といふものなんです。こんなことがわれわれの日本に起つていいと思ひますか。
というものだったそうです。
戯曲「喜びの琴」では「毛唐や三国人が悪事」という表現もあった
また、戯曲「喜びの琴」には、公安巡査・片桐のセリフ以外にも、
この雪の中のあちこちで、毛唐(外国人等)や三国人(朝鮮人等)があひかはらず、悪事をたくらんで動きまはつてゐる
などという、反共(反共産主義)的なセリフもあったそうです。
戯曲「喜びの琴」では「松川事件」を連想させるシーンがあった
さらに、劇中、「上越線転覆事件」という電車転覆事故が起こるシーンがあり、共産党員が、右翼系の人物の犯行と思わせるように仕組んだ陰謀だった、というオチになっていたそうですが、それは、実際に起こった列車転覆謀略事件「松川事件」(1949年8月17日)を連想させる内容になっていたのだそうです。
(14年の歳月をかけて、3ヶ月ほど前の1963年9月に、「松川事件」の首謀者とされた国労関係者(共産党の人たち)20名全員の無罪が確定したばかりだったそうです(冤罪))
三島由紀夫は政治的なメッセージを込めた訳ではないと反論
これらのことを主な理由として、当時、毛沢東(共産党)を支持していた、「文学座」の座長・杉村春子さんらは、「喜びの琴」の稽古・上演ともに拒否したのですが・・・
一方、三島さんはというと、同じ思想を共有し信頼していたはずの上司に裏切られる若い公安巡査の悲劇を描きたかっただけで、決して、この作品に政治的なメッセージを込めたわけではなかったと反論しています。
「丹阿弥谷津子は若い頃三島由紀夫と共に「劇団NLT」を結成していた!」に続く