1963年11月、「文学座」の座長・杉村春子さんらが、三島由紀夫さんの戯曲「喜びの琴」をいくつかのシーンを問題視して上演拒否したことにより、三島さんが「文学座」を脱退すると、続いて、10数名のメンバーとともに「文学座」を脱退した、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さんは、翌年の1964年には、三島さんと脱退メンバーと共に「劇団NLT」を結成したといいます。

「丹阿弥谷津子が「文学座」脱退の起因となった「喜びの琴事件」とは?」からの続き

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三島由紀夫の「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」の内容とは?

「文学座」の座長・杉村春子さんらから上演拒否を受けた三島由紀夫さんは、1963年11月25日、「文学座」脱退を申し入れると、同月27日には、朝日新聞紙上に、「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」を発表しているのですが、

その内容は、

諸君が芸術および芸術家に対して抱いてゐる甘い小ずるい観念が今やはつきりした。なるほど「喜びの琴」は今までの私の作風と全くちがつた作品で、危険を内包した戯曲であらう。

しかしこの程度の作品におどろくくらゐなら、諸君は今まで私を何と思つてゐたのか。思想的に無害な、客の入りのいい芝居だけを書く座付作者だとナメてゐたのか。

さういふ無害なものだけを芸術と祭り上げ、腹の底には生煮えの政治的偏向を隠し、以て芸術至上主義だの現代劇の樹立だのを謳つてゐたなら、それは偽善的な商業主義以外の何ものなのか。

諸君によく知つてもらひたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸ふことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。

諸君を北風の中へ引張り出して鍛へてやらうと思つたのに、ふたたび温室の中へはひ込むのなら、私は残念ながら諸君とタモトを分つ他はないのである。

今年一月の分裂事件以後、私は永年世話になり、かつ、相共に助けてきた諸君のために、微力をつくしてきたつもりである。諸君に対する愛情は、今急に吹き消さうとしても、吹き消せるものではない。しかし、諸君が愚劣の中へおぼれようとするとき、私にはもうその手を引張つて助け上げる力はない。むりにさうすれば、私も共に愚劣へおぼれ込む他はないからだ。

という、痛烈なものだったそうです。

三島由紀夫は「文学座」の座長・杉村春子を痛烈批判

ちなみに、「文学座」の座長・杉村春子さんらが「喜びの琴」を上演拒否したことを受け、1963年11月21日、「文学座」の理事の戌井市郎さんが、三島さん宅を訪ね、「喜びの琴」が上演保留になったことを伝えているのですが、

その際、三島さんは、

戌井さん、文学座には共産党は何人いるんだ?

と聞くほか、

杉村さん個人に対しても、

俳優は、良い人間である必要はありません。芸さへよければよいのです。と同時に、俳優は、俳優に徹することによつて思想をつかみ、人間をつかむべきではないでせうか。

組織のなかで、中途はんぱなつかみ方をするのはいけないと思ひます

と、批判したといいます。

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三島由紀夫らとともに「劇団NLT」を結成

さておき、翌年の1964年1月には、三島さんと脱退メンバーらは、「劇団NLT」を結成。

丹阿弥さんは、1965年11月、三島さんの戯曲「サド侯爵夫人」で、主演のサド侯爵夫人・ルネ役を演じています。

(NLTとはラテン語で「新文学座」を表す「Neo Litterature Theatre」の頭文字で、劇作家・獅子文六(岩田豊雄)さんにより命名されたそうです)

「丹阿弥谷津子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く


「サド侯爵夫人」より。左が丹阿弥さん。

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