「8時だョ!全員集合」が終了した後は、それまで、あまり一緒に過ごすことができなかった時間を埋め合わせるかのように、妻孝行に励んだという、高木ブー(たかぎ ぶー)さんですが、そんな中、妻の喜代子さんが余命宣告をされ、あっという間に亡くなってしまったといいます。

「高木ブーが結婚当初はいつも妻に支えられていた!」からの続き

Sponsored Link

妻が脳腫瘍で余命5年と宣告されていた

高木さんの妻・喜代子さんは、1994年3月25日、脳腫瘍のため、58歳という若さで他界されているのですが、

高木さんによると、1992年の春、夫婦でいちご狩りに行った時のこと、

喜代子さんが、

目まいや吐き気がするのよ

と、突然、体調の異変を訴えたそうで、

高木さんは、

更年期だろう

と、軽く受け流してしまったそうですが、

(この時のことを今も深く後悔しているとのこと)

娘のかおるさんの勧めにより、病院でCT検査を受けると、脳腫瘍が見つかり、なんと、余命5年と宣告されたのだそうです。

妻のために自宅をバリアフリーにリフォームしていた

しかし、高木さんは、喜代子さんには告知せず、これからの5年間、できる限りのことを喜代子さんのためにしてあげようと決意したそうで、

車椅子生活になるだろう喜代子さんのために、バリアフリーにして、ホームエレベーターもつけようと、家を建て直すことにしたそうで、病院の外出許可が出ると、喜代子さんに建設中の家を見せて、元気づけたのだそうです。

(新居への引っ越しが、闘病の目標になるのではと思ったそうです)

妻は3回目の手術の後は体を動かすことも口を訊くこともできなくなっていた

そんな喜代子さんは、3度手術をし、1回目と2回目の手術はうまくいき、少し元気になったそうですが、

(喜代子さんは、手術室に向かう前には、必ず、「元気になって戻ってくるから」と言っていたそうです)

1993年の秋、3回目の手術を受けた後は、体を動かすことも口を訊くこともできなくなり、何か言いたそうに、瞳を動かすばかりだったそうで、

高木さんは、

困ったのは口が訊けなくなったこと。一方的に話すと、ウンウンとうなずいているように見えたり、涙ぐんだり。僕としては、目と目で会話できていると信じていました。

僕が伝えていたのは、ただただ『ありがとう』ということです。カミさんですか? 僕はこんな男ですから、きっと『しっかりしなさい』だったでしょうね

と、語っています。

(それでも、高木さんは、新居の完成がその年の暮れの予定だったため、必ず、喜代子さんを新居に連れて帰るという強い思いから、仕事はセーブせず、病室から「雷様」の本番に出かけたこともあったそうです)

妻が脳腫瘍で他界

そんな中、喜代子さんは、1994年3月25日に他界。

高木さんは、旅立った喜代子さんとしばし病室に2人きりにしてもらうと、堀内孝雄さんの歌「冗談じゃねぇ」を何度も何度も泣きながら歌い続けたそうです。

ちなみに、余命5年と言われていたにもかかわらず、たった1年8ヶ月で亡くなってしまったことから、普段は温厚な高木さんも、医師にきつく当たってしまったそうですが、

それ以来、医者の話は信じることができなくなり、また、喜代子さんを助けてくれなかった神も一切信じることができなくなってしまったのだそうです。

Sponsored Link

今も妻の気配を感じている

そんな高木さんは、今でも、階段、風呂場など、家のあちこちで、喜代子さんの気配を感じることがあり、娘のかおるさんと、「今日、ママいたね」「うん、いたね」と言い合っているそうですが、

(3回目の手術の後、口を訊くことができなくなった奥さんが瞳を動かしていたことについて)たぶん僕への励ましとかアドバイスとか、そういうことが言いたかったんだろうと思う。

僕や娘が心配でしょうがないから、今も時々家のあちこちに現われてくれるのかもしれない。早くいなくなっちゃったのは悔しいけど、僕は最高の伴侶に恵まれました。

いずれ向こうの世界で再会したら、3回目の手術のあと、僕に何を言いたかったのか、そして僕と結婚したことをどう思っているのか、あらためて聞いてみたいと思ってます。

あっ、その前に僕のほうから「結婚してくれてありがとう」ってお礼を言わないとね。ちゃんと言ってなかった気がするから。

と、今も尽きることのない奥さんへの想いを語っています。

「高木ブーの娘は電通グループの社員だった!」に続く

Sponsored Link