1965年、「非っ常にキビシ~ッ!」「~してチョウダィ!」のギャグで一躍ブレイクすると、以降、数多くの、テレビドラマ、映画、舞台に出演するほか、「タケモトピアノ」のCMは20年以上も放送されている、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな財津さんの奥さんとの馴れ初めやプロポーズなどについてご紹介します。

「財津一郎はCM「タケモトピアノ」でダンサーと一緒に踊るはずだった!」からの続き

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妻には一目惚れだった

財津さんは、1960年3月5日、同じ劇団「石井均一座」の舞台女優だったミドリさんと結婚しています。

ミドリさんとは、「石井均一座」で知り合ったそうですが(財津さん25歳、ミドリさん29歳の時)、長身で目がパッチリした色白美人のミドリさんに一目惚れしたそうで、さらには、ミドリさんが、父親が建築家という良家のお嬢様だと知ると、

こんな素敵な人に出会えることは、もうないだろう

と、結婚も意識したそうです。

稽古帰りに毎日家まで送っていた

そこで、財津さんは、ミドリさんとお近づきになるきっかけが欲しくて、さっそく、毎日、稽古(けいこ)帰りにミドリさんを家まで送るようになったそうですが、

ミドリさんの実家は、佐藤栄作元首相の邸宅のすぐそばにあったそうで、

財津さんがふざけて、邸宅に近づき、

栄作君、栄作君

と、言うと、ミドリさんは、「ふふふ」と楽しそうに笑ってくれたのだそうです。

(ミドリさんは、おっとりしていて口数の少ない女性だったそうです)

土下座してプロポーズ

ただ、実は、ミドリさんは、ちょうどその頃、踊りのお師匠さんと縁談がまとまりかけていたそうで、やがて、どうしても諦めきれない財津さんは、一か八かの賭けに出ようと、稽古の帰り、ミドリさんに、

お願いだから、一緒になってください

と、土下座をしてプロポーズ。

すると、ミドリさんは、驚いた様子を見せたものの、はにかみながら、うなずいてくれたのだそうです。

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仕事がなく貧しい新婚生活だった

こうして、財津さんは、ミドリさんと結婚することができたそうですが・・・

経済的な理由から結婚式は挙げられず、喫茶店で身内を集めてささやかなお祝いをしただけだったほか、翌年の1961年には、長男(功さん)が誕生するも、その後も長らく収入がない時期が続いたそうで、とても貧しい生活が続いたのだそうです。

「財津一郎が結婚当初は妻に経済的に支えられていた!」に続く

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